麒麟がくるの感想・口コミ
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麒麟がくるは、戦国時代の智将、明智光秀を描いたNHK大河ドラマです。誰もが耳にしたことがあるあの言葉、「敵は本能寺に有り」に行き着くまで、どのような出来事が起こったのか。見逃し配信でしっかりと歴史を紐解きたくなる作品です。
麒麟がくるのドラマ情報・出演者情報についても解説しています。ぜひこの記事をご覧になってください。
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『麒麟がくる』(ドラマ)期待・感想・レビュー・評判・口コミについて
『麒麟がくる』全体評価
『麒麟がくる』みんなの期待・感想
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麒麟がくる(ドラマ)の作品情報とあらすじ
タイトル | 麒麟がくる |
テレビ局 | NHK |
放送日 | 2020年1月19日 |
放送時間 | 毎週日曜日 20時00分~ |
キャスト | 長谷川博己 浅利陽介 芦田愛菜 安藤政信 石川さゆり 石橋凌 石橋蓮司 伊藤英明 伊吹吾郎 今井翼 上杉祥三 榎木孝明 大塚明夫 岡村隆史 尾野真千子 尾美としのり 風間俊介 片岡愛之助 片岡鶴太郎 加藤清史郎 門脇麦 金子ノブアキ 川口春奈 木下ほうか 木村文乃 他 |
原作 | |
公式サイト | https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009051124_00000 |
公式SNS | Twitter Instagram |
主題歌 | |
さらに詳細 | Wikipedia |
あらすじを見る ➡
王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣、麒麟。
応仁の乱後の荒廃した世を立て直し、民を飢えや戦乱の苦しみから解放してくれるのは、誰なのか……
そして、麒麟はいつ、来るのか?
若きころ、下剋上の代名詞・美濃の斎藤道三を主君として勇猛果敢に戦場をかけぬけ、その教えを胸に、やがて織田信長の盟友となり、多くの群雄と天下をめぐって争う智将・明智光秀。
「麒麟がくる」では謎めいた光秀の前半生に光を当て、彼の生涯を中心に、戦国の英傑たちの運命の行く末を描きます。
従来の価値観が崩壊し、新たな道を模索する現代の多くの日本人に向けて、同じように未来が見えなかった16世紀の混迷の中で、懸命に希望の光を追い求めた光秀と数多くの英傑たちの青春の志を、エネルギッシュな群像劇として描き、2020年、新たな時代を迎えるすべての日本人に希望と勇気の物語をお届けします。
明智光秀とはいったい何者なのか?
麒麟は一体、どの英雄の頭上に現れるのか……
出典:NHK『麒麟がくる』
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1話~25話の感想・ネタバレを見る ➡
【第3話の感想】
マムシと言われた斎藤利政を土岐頼芸は信頼していません。利政こそ、下克上の戦国時代の象徴的な存在で足利幕府時代からの由緒正しき土岐家から見れば、たかが油売りの成り上がり者など、信用出来る筈もありません。
まして頼純が、利政の宿命のライバルである織田信秀と内通して自分滅ぼそうとしていると思われて殺されている訳ですから、尚更、土岐家と利政がお互いに信用できません。キツネとタヌキの化かし合いがみどころです。
夫の頼純を殺された帰蝶は、この後、信長と政略結婚させられると言う、数奇な運命をたどりますが、本当は光秀に帰蝶は思いを寄せていたのは、悲しい戦国の女のせつない運命です。
でも、帰蝶は女性とは思えない策略家でもあり、信長と光秀を影で支える姿が微笑ましいです。
一方、利政は、頼芸に守護について欲しいと頼み、依頼を受ければ命が救われると匂わせたのは、腹黒いです。利政にとっては、何とか取り込もうとしたようです。
しかし頼芸は利政の息子の高政に、自分の息子だと言い聞かせて母親の深芳野と組ませて利政を倒そうと画策するのです。
深芳野は、高政に利政の子だと言い聞かせ、利政には高政を後継者にして欲しいと頼むのですが、夢を実現することなく死んでしまいます。
しかし高政は利政の治世に疑問を持ち光秀と謀反を画策するようです。
又、頼芸は織田信秀に書状を送り、利政打倒を目指すようです。
いずれ、利政は高政によってクビを取られますが、高政も又、若くして結核で亡くなります。
【第22話の感想】
桶狭間の戦いから、4年後。1564(永禄7)年。明智十兵衛光秀は、越前国(今の坂井市丸岡町)称念寺の門前で寺子屋を営み、2人の娘を育てながら、書斎にこもり、書物ばかり読んでいました。京は、三好長慶が京・畿内の支配力を固め、13代将軍義輝は文字通り傀儡となり、正親町天皇や関白・近衛前久との関係も悪化しています。改元をしたい朝廷に改元のお伺いを立てない義輝。京から疎開し、近江国朽木にあった時に、将軍義輝に無断で永禄に改元した事を義輝は不満に思っていたのです。そして、将軍義輝のお側衆の細川藤孝が越前の旧知の光秀のあばら家を訪ねて来ました。義輝が光秀に会いたがっている。実権を失くした将軍が覇気を失くし、ますます味方を減らしてしまうおそれがある。藤孝は、光秀の知力と懸命さだけでも味方して欲しいと言うのです。妻・煕子の賛成と越前国主朝倉義景の許可。京での風聞を逐一伝えるという条件付きで義景は気味悪く笑った。「家の事は案ぜずともよい」。そして、光秀は京に。三好長慶を討て、と言いたい義輝。しかし、無関係と言い切れる自信がない…。光秀の提案は、「将軍家には強い大名の支えがいる。私が尾張の織田信長を連れて来ます」。この後、三好長慶は病死するが、その家老の松永久秀は長慶の遺産を相続しようと動き出すのです。
室町時代の秩序は崩壊。戦国時代となり、調停能力さえ室町幕府は維持していません。この悲しみを表現する事さえ、将軍義輝はできない。三好長慶と松永久秀の締めつけは巧緻極まりないのです。第一、義輝は剣豪としても有名な武人。泣き言を言うような人ではない筈。その様子を外から見た明智光秀の立場は、泣くか笑うか。武人としての恥と言えるのでしょうか。次回は義輝暗殺騒動で、のちに15代将軍となる義昭が登場します。すでに、武家を離れていた僧侶覚慶(のちの足利義昭)のたたかいは更に厳しいものになるのです。
【第22話の感想】
桶狭間の戦いで今川義元を討ち勢いにのる織田信長。京では三好長慶が治め、重臣松永久秀は大和の国を治め将軍足利義輝は名ばかり将軍になっていました。義弟、近衛前久に、改元を進言されるが、京を治めているのは、三好長慶で、自分ではないとやる気の無い将軍義輝です。明智光秀の元に細川藤孝が訪れ、京の話をし、将軍義輝の真意を聞いて欲しいと京へ行く事を進められる明智光秀。朝倉義景に京の出来事を教えるという条件で京へ行く明智光秀。その代わりに朝倉義景は明智光秀の家族の面倒を見てくれます。京では、駒が伊呂波太夫と近衛前久の関係を知ります。大和では、松永久秀の鳴り物禁止のお札が出され、それに直談判しに松永久秀を訪ねる伊呂波太夫に近衛前久。そこで、将軍義輝を暗殺を企ててるのではと松永久秀を問いただす近衛前久。そこで僧侶覚慶、後の将軍足利義昭です。京では二条御所で義輝から諸大名に上洛の文を出しても誰も上洛せず、三好長慶を討つしかないと考える将軍義輝。明智光秀は強い将軍を取り戻す為には強い大名の力を借りるしかないと織田信長を京へ連れて来ることを将軍義輝に約束する明智光秀です。将軍義輝も織田信長を連れて来るよう明智光秀に命令します。ここから、明智光秀と織田信長の関係が主従関係になっていきます。
【第23話の感想】
1564年、永禄7年、三好長慶が死ぬことで義輝の運命が大きくかわりそうです。
義輝は信長に夢を託して上洛を期待していましたが、信長は斎藤との美濃攻めで難渋していて、それ何処ではありません。
小牧山城で光秀が信長に会い、義輝の御内書を見せますが、中身も見ないで、これから軍議だと言って話の続きは藤吉郎としろと言っていなくなるのは、冷たいです。浪人生活が長かった光秀の影響力は落ちたようです。
それに比べ、信長は藤吉郎が百人組の頭だが、面白いと言い、期待をかけているようです。
藤吉郎は光秀を接待します。藤吉郎は帰蝶から万葉集の和歌を教えて貰ったと言いますが、それは読み人知れずの雑歌だという光秀の学の深さが判ります。
一方の藤吉郎は、今までの藤吉郎のイメージとは違って、学はなくても、より人たらしで、ひとくせも、ふたくせもありそうな佐々木蔵之介の演じるキャラです。
藤吉郎は六角から義輝が三好義継に命を狙われていると聞いたと言い、松永久秀が黒幕だと言うのですが、藤吉郎らしく光秀の心の琴線に触れるような話術は巧みです。
早速、光秀が京都に向かったのは藤吉郎の戦術が成功したようです。
一方、義輝は早朝に人の気配を感じますが、自分が期待した麒麟は、朝もやの霧のように、はかない期待だったと気が付くようです。義輝の、はかない夢を見事に演出していた場面です。
他方、覚慶は施しをしていましたが、駒が声をかけ、医者の手伝いをしていて戦が絶えず人が死んでいるのを、どう思うかというと、覚慶は自分が無力だと言います。麒麟が来る世の中にならなければと言いながら、兄も父が将軍だったが戦が止められなかったと言いますが、いかにも、たよりなさそうなキャラです。
それでも、義昭は信長と京都に上洛した後に信長に叛旗を翻し、疎まれながらも、信長死後、島津と秀吉を和解させるなど、軍事力はないながらも、権謀術数を駆使して1587年に征夷大将軍を拝命し上洛し1598年に61歳まで生きるのは意外です。
光秀は久秀に会うと、久秀は値打ちは人が決めると言い、上杉も武田も毛利も上洛しない、久秀は義輝を支えて来たが疲れた、義輝は将軍の器ではないと言い、光秀に影響力のある藤孝を呼んで、藤孝に何を言っても無駄だ、義輝を見放し次の将軍を探すと言わせたのは、策士の久秀らしいです。
息子には義輝は討つなと言ってあるから安心しろと光秀に言った時の、吉田剛太郎の本音を隠した、たぬきぶりの表情には笑えます。
光秀は義輝に会うと、信長も上洛が無理かと悟っているようで、義輝は都は寂しいと言い、2人で夢を見た麒麟がこないので、光秀に感謝の言葉を述べて2人が無念さを表して涙を流す場面は悲しい場面でした。この先、義輝がわずか30歳で殺される運命は、悲しいです。
越前に帰った光秀は義輝に、野心を持たずじっとしていろと言われたと熙子に言いますが、これから斎藤義龍が信長に追われて越前に逃れてくると、光秀は謀反の疑いまで掛けられて、朝倉義景に疎まれるようで、波乱の人生になりそうです。
【第23話の感想】
麒麟が来ることを願う共通の思いを抱いていた足利義輝の失脚は明智光秀にとっても我が事のように無念で義輝からもっと早く出会いたかったと言われた時に光秀が思わず涙したシーンは23話の1番の見どころです。戦国時代にあり争う事を望まず心から平穏な時代が来ることを願っていたこの2人の絆は非常に美しく心に響きました。
自身の無力を悟りいつまでもしがみつかず潔く将軍から身を引く決断をした義輝も立派で拍手を送りたいです。
身を引かなければいけない理由は1つではありませんが最後の望みを託した信長にも協力を得られなかった事がその決意を下した大きなきっかけとなりました。
光秀は決して無能でもなく人望がない訳ではないですが義輝の味方をするのが光秀1人ではいかんともしがたかったです。
こうなると将軍の跡取りは誰になるかが注目点ですがどうやら弟の義昭が有力候補のようで、その証拠に武士ではなく僧侶姿でありながら早くも反対派と思われる一派から命を狙われるという危険な目に遭遇しています。義昭が将軍の器としてどうかと言えばまだまだ未知数ですが兄と同様麒麟が来る事を望んでおり兄の意思をしっかりと受け継ぐことができそうで光秀にとっても義昭が将軍になるならとても喜ばしい展開です。
【第23話の感想】
明智光秀は将軍足利義輝のために、上洛をお願いするべく織田信長を訪ねますが、信長は忙しいということで、それどころではありませんでした。
そのため、詳しい話を藤吉郎にすることになりますが、そこで足利義輝の暗殺を松永久秀が企んでいるという情報を聞きます。
そして、光秀は松永を訪ねますが、松永は義輝のことを見限ってはいるが殺しはしないと打ち明けます。
その後、光秀は義輝に謁見し、信長は上洛しないことを告げ、それを聴いた義輝は光秀に越前に戻るように言います。
そして、短い間でしたが仕えてくれたことを感謝し、もっと早く光秀に出会いたかったと言います。
光秀は越前に帰り、朝倉義景に越前以外のことに構わないようにと言われます。
その後、光秀は家に帰りますが妻から美濃で織田家と斎藤家が戦をしていることを伝えられます。
一方、京では駒が僧として、庶民に施しを与えている、後の足利義昭に出会います。
そして、東庵の家に帰りますが、強盗に入られて全てを取られたことを知り、伊呂波太夫から駒が作っている薬が高く売れることを聞かされます。
今回も光秀は色々と苦労しているなという感じがしました。
そして、遂に後の豊臣秀吉となる藤吉郎が表舞台に登場したと思い、今後の光秀とのライバル関係がどうなるか楽しみになりました。
また、足利義輝が見限られている感じが哀れすぎると思いました。
【第24話の感想】
永禄8(1565)年5月19日、三好長慶の子・三好義継、三好三人衆、松永久秀の子・松永久通らの軍勢が二条御所を襲いました。剣豪と呼ばれた13代将軍・足利義輝は数人を斬り倒すが…。多勢に無勢、30年の生涯を閉じました。三好一派は、義輝の弟・覚慶(のちの足利義昭)を奈良興福寺一乗院に幽閉し、従兄弟・義栄を擁立せんとします。覚慶は、明日をも知れぬ我が身を思ってか、「死にとうはない」を繰り返すようです。越前で寺子屋の師匠をしている明智光秀は、永禄の変の張本人が松永久秀ではないかと怪しみ、大和多聞山城に抗議に出掛けたのですが、「息子たちがしでかした事なので、わしも責めを負わねばならん」、火縄銃でわしを撃てという。恩義ある久秀に「命までは取らん」と言質を得ていたところの裏切り、事の真相はともかく、光秀に久秀を撃つ度胸はなかったのです。将軍の威光はまだ必要、しかし、そう思うかは半々。我らの正念場と久秀。甲賀に逃げ延びた覚慶は、光秀と会うが、やはり、「死にとうはない」と笑うばかり。その事を越前に帰り、朝倉義景に報告して、任に非らず、と。三好一派の朝廷への脅迫は、未だかつてないほどのもので、関白・近衛前久は、足利義栄を征夷大将軍に推挙。足利室町幕府の最期の権威はもはやなかったのです。
明智光秀の室町幕府家臣時代は、終わるのか終わらないのか、松永久秀が示唆した正念場という言葉の意味はのちに重大な事に。この後仕える織田信長の信と光秀への世の信、光秀役長谷川博己さんの厳しい顔は誠実的な武将である事を示そうと。面白かったです。
【第24話の感想】
クーデターが起きて、足利義輝が襲撃され殺されてしまいます。
義輝の弟の覚慶も捕らえられてしまいますが、松永と藤孝により救い出されていました。
明智光秀はその知らせを聞いて、京に上り松永秀久に詰め寄りますが、松永クーデターは息子たちがしたことだが、責任は感じていると告げます。
そして、光秀に自分が憎ければ撃ち殺せと銃を渡しますが、光秀は松永に向かって銃を放ちませんでした。
その後、光秀は覚慶の居場所を聞いて会いに行き、越前の主君である朝倉義景の命令により、覚慶と面会しました。
そして、光秀は義景に覚慶は将軍の器ではないと告げます。
一方、京では三好派が義栄を将軍にするために関白近衛を脅してしました。
近衛は伊呂波太夫と兄弟のように育っていて、相談のために東庵と駒のところに行きました。
駒たちは、薬作りに追われていました。
今回は、足利義輝が討たれるということで、戦いに望む向井理さんの最後の勇姿が見所の一つだと思いました。
そして、松永久秀が光秀に銃を渡し、松永を撃つかどうかを試すシーンにハラハラしました。
また、権力争いに興味がないようだった朝倉景義が、後の足利義昭となる覚慶を将軍にして迎えたりしようと暗躍しているのも興味深いと思いました。
【第24話の感想】
三好・松永の子供たちが足利義輝を討ち死にさせました。
そのことに憤りを感じた光秀は急きょ、光好のところへ向かいました。
松永は光秀に鉄砲で自分を撃てと言いましたが、彼はそれができませんでした。
一方、駒は丸薬作りが忙しい毎日を過ごしていました。
伊呂波太夫から次々と注文が入り、彼女から人員を増やした方が増やした方がいいのではないかと言われます。
しかし、駒はそれを断りました。
そんな矢先、伊呂波太夫の元へ関白の近衛が相談にやってきました。
二人は幼少期、ずっと一緒に過ごしていて姉弟のような関係です。
足利義輝が討ち死にしたことで、急きょ、実弟の覚慶が次の将軍の候補の最有力候補になっていました。
足利家では嫡男以外はみな出家をしており、覚慶もまた、幼少期に仏門に入りました。
しかし、このような状況になり、覚慶に予想もしなかった展開が起ころうとしていました。
覚慶は三好に狙われている状況が続いていましたが、藤孝らにかくまわれながら着々と将軍になるべく準備が進んでいました。
光秀は覚慶に会いましたが、将軍の器ではないと思ったようです。
そのことを光秀は越前に戻った時に、朝倉に正直に伝えました。
朝倉は覚慶を迎え入れようと思っていたこともあり、かなり動揺を受けていました。
【第25話の感想】
1566年、永禄9年、覚慶は還俗して義昭になり敦賀で義昭は足が止まり義栄は征夷大将軍の一歩手前ですが、義昭は義景から連絡が来ないまま半年が経過します。
藤孝は仮病を装う義景に会えないままなのは、光秀が義景に義昭が将軍の器ではないと言ったので、義景は義昭には関わりたくないと思っているようです。
一方、稲葉山城で信長は美濃から龍興を追い出して制圧しました。
牧は伝吾から文を貰い焼けた家を建て直したと言い、生まれ故郷に帰りたいようです。光秀は美濃に帰れると熙子に言いますが、熙子は越前が子供の故郷だと言って離れたくないようです。しかし史実では、光秀は信長に追われた龍興らの讒言で、義景に謀反を起こそうとしていると思われて、やがて義景にも疎まれて越前から出て行く運命の様です。土岐源氏の血が流れていると牧は光秀を励ましますが、信長に抱えられるまでは、まさに、流浪の人生です。
光秀は稲葉山城で稲葉に会うと、信長に仕えていました。稲葉は龍興では器が小さく美濃は治められないと言いますが、かつては光秀とは因縁の相手だけに光秀には複雑な気持ちがわかります。
光秀は信長に会うと、自分に仕える気がないかと問われます。喜んでというかと思ったら、光秀は申し訳ないと言い、義輝に仕えていたが、どうしたらいいか判らないと言ったのは驚きでした。光秀は本心では信長は家柄としては格下と思っていたかも知れません。
信長は自分も判らないと言い、美濃を平定したら、どうしたらいいのか判らないと言いますが、戦が嫌いではない、今川を倒した時に皆が喜んでくれたと言い、この先、どこに向けて戦をしていいのかと言います。信長は野望は消えていなかったようです。
六角ら武田、朝倉ら周囲が敵だらけだと言うと、光秀は新しい将軍をいただき上洛を勧めます。すると堺に行きたいと信長が言います。即物主義の信長には自由な雰囲気の堺を手に入れたかったようです。
他方、光秀は無駄な戦を終わらせるには将軍を戴き畿内をおさえ、誰も手出しが出来ない大きな国をつくれと言います。道三に言われた理想が頭に残っていて、光秀には麒麟がくるような国を作ると言う信長とは違う理想家のようです。
信長は、大きな国とはこれくらいかと言いながら地図の周りを回って2人は嬉しそうに笑ったのは、痛快でした。
義景は義昭はいかなる人物かと言い、光秀が良いと言えば神輿を担ぐと言う。
又、駒が又売りをしていると言う噂を聞き、和尚に釘を刺します。駒は母が病だと言った平吉が又売りしたのを咎めました。ただの物を売ってはいけないというと、貧しい平吉が薬を売って妹や弟の食費にしていました。
東庵は駒に会うと、駒は又売りをした平吉に何も言えないと言います。最初は駒の丸薬売りに批判的だった東庵は又売りしても良い、薬が一人歩きして稼いでいるから良いと言って理解を示したのは微笑ましかったです。
越前に光秀は戻ると藤孝が義昭と来ていました。義昭は兄が信用していた光秀に、蟻が蝶を運んでいたら、蟻が仲間の助けを振り払ったと言います。何の話かと思いました。
蟻は自分だと言い、将軍という大きな羽には助けが要ると言い、もし将軍になれば手の届かなかった人も救えるかもしれないと言ったので、あれほど、おじけついていた義昭の心変わりは意外でした。自分の悟りを野望に変えたようです。
弱気に見える義昭がやがて信長に反発し秀吉に取り入り、何と、1587年に征夷大将軍を拝命し上洛し、秀吉から1万石の領地を得て、1598年に61歳で病死しますが、そこまでのしぶといキャラには見えないのが不思議です。
義昭は義景の力がいるので、光秀に伝えて欲しいと言うと、光秀は義景に、義昭と話をしたら聡明で弱きものの心がわかると言ったのは、案外、光秀は人を見る目があったようです。
義景は久秀から信長と義昭と上洛すればよいと文を貰ったと言いますが、義景は信長が気に入らないが義昭のような軽い神輿がいいと言います。蹴鞠に興じて貴族のような義景には、野武士のような信長が肌に合わないのか龍興をかくまって逆らえば、やがて史実のように信長の上洛の誘いを断って滅ばされる運命も仕方なかったのでしょう。
義栄が永禄11年2月に14代将軍になりますが、これから光秀、信長らの反撃が期待されます。
【第25話の感想】
永禄9(1566)年、覚慶は還俗して足利義昭と名乗りました。義昭は越前の朝倉義景を頼ったが、敦賀で1年2ヶ月留め置かれ、不安と苛立ちにさいなまされました。ライバルは従兄弟の義栄。しかしまだ、征夷大将軍にはなっていない。従五位下左馬頭。まだチャンスは。その頃、尾張の織田信長は永禄10年9月、稲葉山城から斎藤龍興を追い出し、美濃を平定。岐阜城と改名。すると、旧明智荘の領民・伝吾から文が届き、戻ってくる事を願っている様子が。光秀と母・牧は明智荘へ帰り、昔を懐かしみ、領民たちと触れ合い、織田信長に祝意を伝えてきます。美濃での情報は斎藤義龍の跡を継いだ龍興が勇猛でなく、諸将をまとめられなかったと。かつて道三派、義龍派に別れて争った稲葉良通も信長の下についていたのです。光秀は従兄弟の信長の内儀・帰蝶に会いたかったが、まだ岐阜城には来ていませんでした。しかし、「わしに仕える気はないか」と。だが、足利義輝に仕えたかったが、政変により亡くなり、この先、どうしていいか自分ではわからないと。しかし、幕府を再興する為、上洛し、畿内を押さえるべきでは、と。光秀が越前に戻ると、細川藤孝と足利義昭が待っていた。自分が将軍になると貧しい人を救えると言う義昭。もしや、将軍の器か、聡明で弱き者の心がわかる人物。光秀は朝倉義景へ具申する義昭についての意見を変えたのです。しかし、永禄11年2月、義栄は14代将軍に。
光秀はまだ信長があまり好きではないようです。光秀役の長谷川博己さんはかなり厳しい顔をしていましたね。これが変化することはあるのか。楽しみです。
【第25話の感想】
覚慶は足利義昭となり、朝倉義景を頼って越前に滞在することになりました。
しかし、朝倉義景は一向に上洛しようともしないので、家臣たちは苛立っていました。
一方、織田信長は斎藤龍興を追い出して美濃を平定しました。
明智光秀は母親の牧が美濃に帰りたいというので、牧を連れて美濃に訪れ、織田信長を訪ねることにします。
織田信長は光秀に自分に仕えないかと誘いますが、光秀は信じていた足利義輝が不幸な最後を遂げたので、何をしたいか分からないと答えます。
信長も、目標だった今川氏を倒したので、今後どうしたいかがわからないと言いました。
そこで、光秀は世の中を平和にするために上洛して近畿を抑えてはどうかと切り出し、信長も堺が手に入るならそうしたいと言います。
そして、光秀は越前に戻りますが、光秀の家に義昭が来ていて、義昭は平和な世を作るために尽力したいと言います。
その後、光秀は義景に呼び出され、松永久秀から手紙が来ていて、信長と共に上洛するように書いてあったと告げます。
光秀も義昭と改めて話して、聡明な人物だと気づいたと話します。
明智光秀は色々な人たちに頼りにされているので大変だなという感じがしました。
そして、遂に足利義昭と織田信長が手を組む段階に来たという感じで、楽しくなってきたという感じがします。
26話の感想・ネタバレを見る ➡
永禄10年、1567年、義昭を担いで信長と上洛を決めた義景ですが、義栄は病気で摂津にいました。二条晴良が関白に義栄が三好の操り人形になりたくないと上洛せず、礼金の額も足りず、関白の責任だと言い、関白を降りろと二条が近衛に言います。宮廷内の権力争いが激しく近衛を追い落として二条が義栄に見切りをつけて義昭を担いだようです。いずれ、三好も信長に討伐されるので、判断は間違っていなかったようです。
結局、二条が認めて義昭が永楽11年4月に元服し、光秀は義昭の上洛を助ける人物を探りますが、越後の上杉も身内の反乱で難しく、六角も龍興をかくまい、三好と通じています。信長と義景しか候補が居ません。
すると、山崎吉家が来て光秀に義景が義昭の祝の宴に来て欲しいと言います。義景は光秀を頼りにしているようです。ところが、山崎は家臣の全てが義昭との上洛に賛成していない、余計な戦に巻き込まれたくないと釘を刺したので、光秀は難しさを悟ったようです。
軍事力と金銭が上洛に必要でしたが準備が出来ていません。宴会に行くと、義景は義昭と阿君丸に上洛したいと言われたと言います。
ところが景鏡は上洛に反対します。
史実によれば景鏡は、最後は信長と通じて義景を裏切るようですが、義景を見る目が冷淡です。義景は帝が義昭が元服したので、将軍職にしていいと言ったと言いますが、三好との戦に義鏡は勝てるかと反論します。
一番のみどころは義景は信頼する光秀に問うと、景鏡の言う通りだと言い、松永もどうかと言い、怒った義景に、確証がないと光秀がダメ押ししたのは、意外でした。光秀は、一乗谷には物があふれていて戦の準備がないと言ったのは、鋭い指摘でした。光秀は義景の無能に気が付いたようです。
義景は不機嫌になりますが、三淵は行けると言うと、朝倉だけでも上洛するというと、三淵は有難き言葉と答えますが、三淵は三好に抑圧されていたので、誰でもいいから上洛して欲しいから義景を支持したのかと思いますが、真相は判りません。
三淵の支持を得て義景が上洛の前祝だと言いますが、光秀らは苦い顔をするのも、当然です。
伊呂波は光秀に義景は和歌を詠むのが向いている、上洛は無理で、伊呂波は光秀に、そろそろ船出だと言います。しかし光秀は船が見つからないと言いますが、伊呂波は信長が船だと言い、帰蝶が光秀と信長が上洛すればいいと言ったので、光秀は決意をしたようです。
光秀は信長に、義景の家臣の山崎らも信用できず光秀は信長に単独での上洛を勧めます。光秀は信長に六角を破れば久秀と三好が争っているので、上洛のチャンスだと言います。信長は光秀に道三の大きな国を作ると言い、義昭をつれて来いと言います。
光秀に三淵は朝倉はあてにならないと言い、朝倉か織田をとるのかというと、光秀は朝倉はまとまっていないと言います。義昭も美濃に行くと決めます。
2日後、山崎が義景に義昭の直筆の文を届け、世話になったと書いてあり、三淵と義昭が挨拶に来ると言いますが、義景は無礼だと怒り、兵を出して行かせていけないと言います。
史実によれば、義景は将軍義昭の名前を利用し永禄10年、1567年11月に、加賀の一向一揆との和睦に成功しているので、義昭に感謝こそすれ、恨む理由はないと思いますが、義景は信長が気に入らないのが本音かとも思います。
三淵は一向一揆で景鏡は、それどころでないと言い、三淵は悔いを残さない様に知恵を出そうと義景を裏切って言います。義景は裸の王様になってしまいました。
すると毒見女が倒れて汁に毒が入っていて6歳の阿君丸が死に、義景はまるで魂を抜かれ人格が変わって見えます。
1ケ月後に義景に三淵が明日、義昭と美濃に行くと言うと、義昭と上洛が信長に出来るか見物だと義景が冷たく言い放ちますが、この後、朝倉は信長の逆鱗に触れて滅ぼされる運命にあるのは皮肉な結果です。
天正元年1573年8月、義景は斎藤龍興、山崎吉家らと戦死します。信長の残虐性を表す作り話として義景、浅井のドクロで信長が家臣に酒を飲ませたという話があるので、信長の上洛の誘いに逆らった義景は、とんだ貧乏くじを引いたとも言えそうです。
永禄11年、7月、義昭は美濃に向かいました。
永禄10(1560)年、「貧しい人を救けられる」(足利義昭)。「強い大名がお支えすれば良い将軍になるかもしれません」(明智光秀)。そして、第14代将軍に任官されたばかりの足利義栄は、病の為、摂津国に留まり、京に入れず。加えて、義栄を担ぎ上げた三好一族は朝廷への献上金を抑え、二条晴良らは関白・近衛前久の責任を追及する構えも。よって、二条晴良らは足利義昭の元服を認める方向に。その為、義昭は越前・一乗谷に入り、永禄11年4月、元服。烏帽子親は朝倉義景。見届け人は二条晴良。しかし、重い腰を上げた義景の統率力には疑問。近畿、四国に巨大な勢力を有する三好に勝てるのだろうか、一族に不満が大きい。近江の六角は三好と通じている疑いもあり、越後の上杉は内戦が起きている。朝倉と尾張・美濃の織田だけで上洛ができるのだろうか。そういう気分の中、一乗谷では米・麦・豆など兵糧や武装品などの準備が急がれていないのです。光秀の気持ちには、論外のような失意が。これは、長く敦賀に留め置かれ、三好の実力を測っていた朝倉への失望の大きかった義昭家臣にとっても同じ。先代将軍・義輝や松永久秀らが一目置く光秀が10年近く越前にいる訳です。美濃・岐阜城の信長単独の上洛を提案し、自ら京へ向かう事になりました。
いよいよ信長、光秀の上洛。麒麟が頭上に現れる鳳凰のような風格、誰の元に?。信長は管領も副将軍も辞退。やはり、足利幕府の時代は終わったんでしょうか。諸大名頼りの義昭の箔づけはもはや…。義昭の出世前を見ている光秀、恩着せがましい人物でなく、品がある武将だったはず。そういう光秀の出世を見ていくのは楽しみです。
14代将軍義栄の上洛が適わないため京にいる三好勢の体制固めが出来ません。義昭を担ついている三淵藤英らはこの機会に一刻も早く上洛して巻き返しを図ろうとします。朝倉義景には上洛する意向はありますが国人衆や家臣団には反対するものも多いのが現状でした。ここが朝倉家にとってはターニングポイントだったと後の結果からすれば明らかなのですが、周囲の反対を押し切ってまで上洛する実力も器量もなかったのは事実です。この時点で浅井家が登場しないのは納得がいきませんが、いずれ登場するのははっきりしていますのでかなり目立つ登場のさせ方をするのでしょう。ここで朝倉が上洛できないとすれば義昭側が他に乗り換えるのは当然の行動です。光秀が信長を説得して上洛する意志をはっきりさせたので義昭を美濃に移そうとします。しかし世話をした義影からすれば面白くない話です。義影の妨害を最小限にとどめるために息子の阿君丸を毒殺するのはえぐいやり方ですが有効な方法でした。義影の落胆振りがはっきりと伝わる演出となりました。時間との戦いでもありますから非道ではありますが、こういった謀略は割り切らないといけません。光秀は詳細を知らなかったでしょうが知っていたらどう動いたかは興味があります。どちらにせよ義昭は美濃に行き信長の力を借りて上洛の準備をする事になります。上洛するためのラストピースである浅井長政をどう絡めて行くのかが今後の見所です。
27話の感想・ネタバレを見る ➡
1568年、永禄11年、7月、義昭は美濃の立政寺で信長の歓迎を受けます。公方様と信長が呼ぶと義昭はまだ将軍ではないと言いますが、信長は自分の心の内では将軍だと言い、1千貫の銭を献上します。すると、1千万人の民が救えると義昭が言います。
信長は銭が戦の糧だと言いますが、義昭がネズミがヘビを見たような目をしたと言い、戦の心構えを疑うのも無理ありません。いずれ、信長は義昭をないがしろにして反感を買うのも、やむを得ないようです。
しかし義昭が29歳まで僧侶だったので、やむを得ないと光秀がかばいます。光秀には将軍家を敬う気持があり、信長とは違うようです。
信長は六角と三好が邪魔だと言います。お市をめとった浅井も上洛したいと言い、明日、浅井に信長が会うと言います。
諸説ありますが、1567年、永禄10年、9月に義昭と信長は近江の浅井に自分の妹のお市を結婚させ、信長が婚姻費用全額を出したという説があります。信長は敵味方の扱いの差には激しい落差があります。
浅井は名前を信長の長を取って賢政から長政に変えたようです。その浅井もいずれ信長を裏切るのも皮肉な運命です。
信長は、三好の兵数と朝廷が三好と手を切って信長につくのか、藤吉郎が京都にいるので、協力して調べろと言います。藤吉郎は路上で商人をしていると、修行人の格好をした光秀が挨拶します。藤吉郎は信長の命令で、信長が義昭を擁して攻めてくると噂を広めていると言います。
3ケ月で城を作れとか、敵の城に入って見方にしろと信長が無茶を言うが、貧しい自分との約束を守って褒美をくれると言います。権謀術数家、実益主義の信長と藤吉郎は野武士どうしで、気脈が通じ合っています。光秀とは思考回路が違います。
都では民が逃げ出していました。藤吉郎と光秀は東庵に会います。藤吉郎は駒に字を教わって信長に仕えていると感謝します。東庵は三好に仕えていました。三好長虎の配下が藤吉郎を尋問しますが、逃げ切ります。忍者のような元足軽の藤吉郎は、見ていて楽しいです。
光秀は駒に会うと、光秀は三好と戦を避けたいと言いますが、駒は戦に反対し刀を抜いて上洛して欲しいと言います。その上でと、伊呂波に会わせます。幼少時に家を焼かれ親を失った駒の願いが判ります。
光秀が伊呂波に会い、朝廷は織田が勝てば義昭を将軍にすると言います。三好は堺の会合衆がついているので、金があり、鉄砲を多く持つと言います。今井富久は明から船が入ると1万貫の金が入ると言います。
最初の見どころは、駒はかつて丸薬を売らないかと言った商人を思い出して光秀と今井宗久に会いに行きます。駒は戦を見たくないと宗久に言い、薬を売る代わりに戦の手助けを止めて欲しいと言います。宗久は茶を点てた方がいいが、三好と手を切って織田が支えてくれるか判らないと言います。
駒は光秀を会わせると、宗久に帰蝶から光秀の事を聞いていたと言い、帰蝶が信長を支え、帰蝶が一番信頼しているのが光秀だと聞いたと言います。帰蝶が日本の歴史を動かしていたのかとさえ、思わされます。
宗久は信長有利と見ているので、信長が支えてくれるならと言い、融通した金が戻らねば金を貸さないといい、信長が鎧を脱いで、京都に火をかけず、堺を守ると約束して欲しいと言います。光秀は無言で茶を飲みます。
次の見どころは、信長の御前会議の場面です。光秀に柴田勝家や稲葉は朝廷に戦の指図を受けないと怒ります。
光秀は義昭をいただき京都で穏やかな世の中をつくるのだから鎧を脱ぐべきだと言います。光秀は堺が三好の金を断つと言い、六角を叩いてから様子をみろと言います。
すると、信長は義昭の意見を聞くと言います。
義昭は鎧をつけずに京都に入るのは良いと言い、三淵も同意します。信長も賛同し従うと言います。
宗久は久秀や千利休や義昭とは茶道で懇意になり、その縁もあり信長に軍資金2万貫を集めて協力するようです。宗久は信長に秘蔵の松島の茶壷を進呈し織田家の茶頭になります。後に信長が堺に課税した時に反発する商人との仲介をし、まとめ、1569年、永禄12年に塩の徴収権、代官職も保証され淀川の通行権も得て1570年,元亀元年には但馬銀山の支配を任され鉄砲や火薬製造もするようで、まさに信長の命運を握る人物だったので、光秀の功績も評価されるべきだと言えます。
信長は光秀に、勝って馬を降りるまで鎧を脱ぐなと教わったから、柴田の意見に従うと言い、その代わりに上洛したら兜を脱ぐと光秀に言います。
そして、光秀の命運を左右しそうな場面は、この後は光秀が義昭に仕えるのか信長の家臣になるのか、今、決めよと言い、光秀はしばし間をおいて。義昭に仕えると言います。
以後、そのように扱うと信長が目をそらしながら言います。光秀と信長の距離が広がった象徴的な場面だと言えます。
9月に六角を攻めて兜を脱いで信長は上洛します。
永禄11年7月、美濃に入った足利義昭。織田信長は、「わが心の内では将軍でございます」と歓待する。甲冑、太刀、金銀砂金・一万貫を献上。義昭は、「1万の貧民が一月暮らせる」と喜んだ様子。しかし、僧侶だった義昭の「太刀を抜いた時の仰天した顔」を信長は見たよう。光秀も「生かすも殺すも信長次第」と言っています。織田軍の上洛は、三好一族と南近江の六角承禎が障壁となるが、その為の偵察は、明智光秀と木下藤吉郎に。織田勢の兵力は10万という噂を流布する藤吉郎。京の町医者の駒の言い分は、京を戦火に巻き込まないで欲しいというもの。織田軍と同盟軍の三河の徳川家康軍・北東近江の浅井長政軍は、箕作城の六角軍を撃破。入京へ。ところが、事前に、堺の豪商・今井宗久との取引があり、問題になっていた事が。「織田軍は、鎧兜を纏わず入京し、京に火をかけず、堺を守る」というもの。織田家内では、「三好の罠じゃー‼︎」(柴田勝家)とか、この交渉役にあった明智光秀を、「義昭の使番のようだ」と非難する向きも強かったのです。しかし、将軍になる義昭が、「名案だ」と言い、「京で無事平和に暮らせる」と上機嫌だったのです。「公方様の仰せのままに」(信長)。その為、信長や義昭は平装で入京。
光秀はまたも信長の家臣になる誘いを断りました。もう少し気にしても良さそうなのに。信長は気にしているという事はないんでしょうか。
信長の義昭に対する第一印象はあまり良くなかったのですね。出家していた人間と武士として戦い続けていた人間の考え方の違いですね。戦いにはお金が必要だから慈善事業をするためにお金を献上したわけではないですからね。京都では秀吉と光秀が会って話をしていましたね。秀吉は信長が大好きなんですね。成果にはきちんと報酬やねぎらいをあたえますからね。そこは信長のいいところですね。そして秀吉は駒と再会してデレデレしていましたね。ほぼ告白ですよね。光秀のあきれた顔が笑えました。駒は三好と戦をすることを反対していますね。自分も戦で育った京都が焼けて荒れていくのを目の当たりにしてきましたから、気持ちはわかります。大義を掲げていつも庶民の生活はおざなりになってきましたから。誰が世の中を収めても変わらないと庶民は考えているのが分かりました。みんなが幸せに平和に暮らすということは難しかったのだなと改めて思い知らされました。戦いの勝負を握っているのは情報ですね。そんな意味では伊呂波太夫が重要な人物ですね。近衛家と親しいので京都の朝廷の様子や三好の内情を教えてくれる重要なカギを握る人物ですね。戦の資金の鍵を握っている今井宗久も登場しましたね。駒が宗久と対峙しましたね。駒、かっこいいです。大人になりましたね。
28話の感想・ネタバレを見る ➡
開始遅れや放送休止など想定外の事態にも遭遇したこの大河ドラマもようやく活気が出てきて、28話ではようやく主役明智光秀が幕臣に取り立てられ、歴史上の人物として表舞台に登場し記録に残る時期を迎えます。視聴者として、脚本家の想像であったとしても、やはり大河ドラマは史実と照らし合わせて見るのが楽しいです。もともとこのドラマは武将などの人物像のイメージを大きく覆すことを主題のひとつとしているように思えるのですが、準主役ともいえる信長の丸顔にも不自然さが感じられなくなってきました。今回はその信長役の染谷将太さんが怒りやいら立ちを演技する場面も多く、信長の既存イメージ(短気、即決、叱責多い、行動力など)も表現していることで、共感度が増してきます。見どころは信長の存在感が増しているシーンで、たとえば「本圀寺の変」のあと信長が幕府の裏実力者摂津晴門を叱責する場面など、信長が旧勢力と戦っていく今後の展開をほのめかしており、ドラマの方向に期待を持たせてくれます。一方で、終盤の二条城建築の場面では、石仏までも城の資材として使うことに何ら畏怖しない信長に対して、価値観の違いがわかりはじめてきた光秀の複雑な表情も見どころです。これはこのドラマ全体の最終的な方向を暗示しており、見逃せないカットかもしれません。また、過去の多くのドラマでは陰謀をめぐらす悪いイメージのある足利義昭について、このドラマでは人間的には優しい好人物に描かれていることにちょっと不思議さを感じ、今後どういう人物像で展開していくのか謎めいていたのですが、今回少し予想できました。つまり、新将軍足利義昭は好人物であっても、室町幕府を動かしているのは従来から既得権にあぐらをかく旧勢力であり、それが将軍の名を使って幕府外に陰謀をめぐらすという構図が浮かび上がりました。次回以降、信長と光秀は同じ志でこういう旧勢力と戦っていくストーリーで進むでしょう。「半沢直樹」などにも共通して言えることですが、対する敵の悪者ぶりが強ければ強いほど、それと戦う主人公側へ共感度が増し、面白いドラマになるはずです。摂津晴門・三好勢・朝倉義景など悪者群の今後の演技にも期待します。しかし、今のところ小さい別の「価値観の違い」がドラマの終末頃に光秀が信長を討つことになることは間違いないので、この関係の展開も気になります。
いきなり足利義昭が幕府の政所を摂津晴門に任せるなど、今後の不安材料になりそうな出来事が起きた内容だと思いました。
まずは、何故義昭はあれだけ信長を頼りにしていると言いながら、摂津を重要な役柄につかせたのかが謎な感じがしました。
そして、案の定三好勢に攻め込まれるなど、落ち度が目立っていました。
しかし、信長のことを成り上がりと馬鹿にしている摂津こそが三好とつながっているのではと思わせました。
そして、信長は二条城を築城することにしますが、2ヵ月作るというのは強引だなという感じがしました。
キャラ的にも、迫力があり、凄みが増してきて、信長像に近づいてきた感じがしました。
そして義昭は、築城の現場で信長と会い、もう岐阜に戻るななどと言っていますが、媚を売っているように態度が急変したので、まるで道化のようだと思いました。
また、信長は本当に明智光秀を頼りにしているという感じがしましたが、光秀は石仏を壊して石垣に使ったりしようとする信長と価値観のズレが出てきているように思えました。
もうこの段階から、2人の考え方が食い違っていたような感じがします。
そして、帰蝶が美濃に帰っていきたということなので、光秀との再会が楽しみです。
三好を倒して幕府の方に権力が戻ったと思ったのにまた攻めてきましたね。なかなかしぶといです。しかも義昭がすごく頼りないですね。優しくていい人だとは思いますが、武家の棟梁としてはやはりふさわしくないように感じます。光秀もせっかく奉公衆になったのに苦労が絶えませんね。なんだか泥舟に乗ってしまった気分になります。駒と東庵先生も戦いでけがをした人を助けに来てくれましたね。やはり頼りになりますね。義昭も駒に会って嬉しそうでしたね。本当に駒が大好きなんですね。光秀も奉公衆の中で活躍し始めたので、みんなが甘い蜜を吸おうと群がってきます。こわいですね。しかし、光秀は人が良過ぎるので心配です。振り払うほどのきつい人でもないし、板挟みになってしまったりしないか心配になってしまします。政所の摂津が信長に早く知らせなかったので怒りを買ってしまいましたね。信長の力を侮っていたのですね。そしてこの事件がきっかけで二条城が造られたのを始めて知りました。信長の力がますます増してきましたね。早々と幕府の旧臣達が切り捨てられることになりそうですね。これからますます幕府と信長の勢力との溝が深まってくのでしょう。次回以降が楽しみになって来ました。
29話の感想・ネタバレを見る ➡
駒は薬を作って得たお金で将軍が言っていた貧しい人や病気の人に施しをする小屋を建てようと決心しましたね。しかし相変わらず東庵は駒の稼いだお金を双六で使う為にくすねようとしていましたね。医者のくせに本当に俗っぽい人ですね。そこが憎めないところなんですが。光秀は前久にも会いましたね。二条との権力争いも激化してきましたね。二条の味方には摂津がいます。前久も信長の力を借りようと光秀を通して信長に近づいて来ましたね。太夫は前久が言えなかった帝の現状を伝えましたね。前久は公家ですが賢く骨のある人物ですね。信長の方も前久が使える人物かどうか見極めています。信長が秀吉にそれをさせています。この頃から情報を集める能力に長けていたのですね。将来の礎はここから来ていたのかと思うとなかなか感慨深いものがあります。そして摂津が腹黒いです。光秀を陥れようと画策していますね。しかもやり方がいやらしいです。帝の土地を横領するなんて図々しいです。光秀にその鼻をへし折って欲しい物です。そして意外にも信長が帝に敬意を払っていたのですね。今回は光秀が幕府の実態を知り、それぞれの思いが交錯し権力への欲が渦巻く中、光秀が奮闘する姿が見どころです。
永禄12年、1569年、信長は二条城を造営しますが、僅か2ケ月で作るのに京都内の神社から寄せ集めた資材が、信長が奪い取ったと悪い噂を流されるのも判ります。本圀寺の僧正は信長から財産を奪われ返して欲しいと摂津と共に義昭に泣きつきますが、義昭は幕府の腐敗ぶりを知らないで摂津の尻馬に乗っているように見えます。
現実には、摂津はじめ幕府内が、神社領地を取り上げている腐敗ぶりもあるようです。
一番の見どころは、光秀が東寺の八幡宮の領地を義昭から貰ったが返せといわれていると藤孝が言い、摂津に光秀が会うと、義昭から領地を貰ったが、押領とは知らず、政所が入手したようだが、どうやって入手したか判らないと言い、帝の丹波の領地も奪ったのかと言います。
光秀が摂津に詮議をするように言っても、時間がかかると、とぼける姿が、光秀や信長のような田舎者の、成り上がりの言う事なんか聞いていられないという摂津の姿に見えます。片岡鶴太郎が演じる摂津のタヌキおやじぶりが、憎たらしいです。
光秀が近衛に会うと近衛は上杉輝虎が幕府は、おのれの利益しか考えていないと言います。天下の為に幕府を変えられるのは信長だと言いますが、本音でしょう。
史実では近衛は摂津や二条のせいで京都を追われ、石山本願寺の顕如を頼って関白を解任されます。
後に義昭が信長に叛旗を翻すと近衛も顕如に信長への決起を促しますが、天正元年、1573年に義昭が京都から追放されると天正3年、1575年に信長の許しを得て京都に戻り天正8年、1580年に信長と顕如の仲介をして本願寺との戦いに手打ちをさせて信長に貢献します。天正10年には太政大臣になります。信長と鷹狩りに興じるように、近衛は信長の実力を評価したのは間違っていなかったと思います。
一方、光秀は信長に会うと、信長は幕府の非道を皆が攻めるが、将軍ではないので、口が出せないと言いますが、光秀は幕府の人間を入れ替えよといいます。
すると信長は権六、藤吉郎、光秀に幕府の奉行にするように幕府に言ったので、幕府を監視せよと言います。
影のフィクサーの摂津も1573年、天正元年に義昭と共に京都を追われ歴史の表舞台から消えますので、信長の幕府解体も成果があるようです。摂津は近衛と違って信長の実力を甘く見ていたと言えるでしょう。
策士策に溺れるのごとく、信長の足を引っ張ろうとした摂津晴門が室町幕府崩壊の原因を作ったと揶揄されるのも、判る気がします。
永禄12(1569)年、京中の屋敷や寺から樹木や庭石、調度品等を献上させ、将軍義昭の為に築城している二条城に集めさせている織田信長。2か月で築城してみせると豪語したが、強引な手法に公家や寺院から苦情が集まりました。しかし、見事完成。規模や贅沢さは総じて未だかつてないもの。織田信長が室町幕府を変えたという印象は確かに。一方で、幕府には旧態依然の役人が私利私欲で朝廷や寺院の荘園を横領し、継続してきた秩序を不安定にしてしまう事に際限がないよう。政所頭人の摂津晴門(片岡鶴太郎)は訴えがあればゆるりゆるりと詮議を行い、改める気配はないという状態です。将軍になった義昭も、貧民や病者に施しや治療をする施設を建てたいと言っていましたが、実現はどうでしょう。度重なる京の戦乱で破壊された帝の御所の塀を修繕する費用として、信長は4千貫献上したのに、塀はあちこち破られ、何人も出入り自由の状態。どこでどうなって、荒れ果てたままに。二条城に将軍を移し、信長が京を離れる時が来ました。妹・お市の婿で同盟相手の浅井長政が近江から多くの大工や職人を派遣して、貢献したのですが、信長は2、3日美濃に帰って来いと明智光秀に。三好家の勢力と組んだ越前の朝倉義景が美濃に攻め込む気配を見せているので、光秀の意見を聞きたいというのです。また、浅井は朝倉と長年の同盟関係。織田家にとっては不幸な事です。
30話の感想・ネタバレを見る ➡
織田信長は朝倉義景を討とうとしますが、幕府側がそれについてこないということで、信長は可哀想だなという感じがしました。
幕府は帝を蔑ろにして、壁の修繕などもしないで、朝倉義景を討つ事も手伝わないでという感じで、形骸化が半端なく、重荷にしかならないという感じがしました。
信長は帝から、これまでの今川との戦いなどを認められて嬉しそうにしていますが、いいように利用されているだけのような気がしました。
そして、結局頼るのも家臣ではなく、明智光秀ということで、正に孤軍奮闘という感じがしました。
光秀も信長に頼られていますが、信長が単独で朝倉義景を討つ事は難しいと思っている感じが複雑だなと思いました。
また、景義の子供に毒を持った犯人が三淵で、支持などをしたのが摂津というのも、予想はしていますが、あくどいやり方だという感じがしました。
戦国の時代なので、しょうがないとは思いますが、子供に手をかけるのは非道だなという感じがしました。
一方、足利義昭は貧しい人たちを救うことには興味があるようですが、その方法などまでには考えが及ばないという感じで、やはり将軍には向いていないという感じがしました。
そして、義昭は駒に入れ込み過ぎな感じがしました。
今日の見どころは。帝から織田信長に、畿内(近畿地方)を安定させよ、そのための戦ならよいという勅命が降りたことです。つまり、朝倉義景との戦の大義名分ができたのです。そもそも、今の幕府の内部は朝倉義景と通じている者も多い事、幕府内の政所の摂津晴門らを抑えるためにも信長は戦をするか悩んでいた。そこで、岐阜城に松永久秀、明智光秀が呼ばれることになった。名目は、美濃にいる家族に会いに行くということですが。あと、三淵という将軍奉公衆もきていた。明智とは近い間柄なので、先に信長と話した三淵は、朝倉と戦をすることを打ち明けられたことを、明智に伝える。その後、明智が信長に会いに行くと、信長の正室帰蝶に先に会う。信長が迷っていることを聞く。当然、帰蝶は朝倉と戦をしなされと言ったことを伝えた。やっと、明智は信長と話をし、迷っている信長の腹が決まった。ただ、戦には大義名分が必要でないと、勝手な戦となるので、ここで帝に会う計画を進めることになる。再度、信長は上京し帝に謁見し、大義名分の勅命をもらい、諸国大名も戦に参加させやすくなった。信長も大喜びで、帝に今までの功績を褒めてもらった喜んだ。しかし、幕府直属の家臣、三淵、摂津は戦には参加しないことを、明智に伝える。こんな状態なので、光秀は先を思いやられてしまった。やはり、今までにない朝倉と織田の戦の裏の話があり、今までのドラマにない面白さが、この「麒麟がくる」には、あるのかなと感じます。
天正12年、1569年、藤吉郎が光秀に朝倉を倒せと言いますが、越前に10年いたので、力と銭がいると光秀が言い義景討伐に乗り気ではないようです。
一方、駒が義昭に呼ばれて義昭に駒は百貫献上した後に銭を献上しと悲田院を建築に貢献します。義昭は、駒に会うと清々しい気持ちになり、2人は蚊帳の中で蛍を見ながら、お手玉を用意し遊び、駒の手を握ります。義昭は駒に恋をしてしまった源氏物語の貴族のようで滑稽に見えます。
晴門は義昭が駒と会っているのが気に入らず、岐阜城での織田の動きを探ります。
久秀は義景が信長が憎いと言います。しかし義昭は義景に世話になったので大義名分が必要だと言い、とても信長一人では義景討伐はできないようです。一歩、待ちあえば信長は四面楚歌になりそうで危ないです。
光秀は帰蝶に会うと、信長は戦をするべきか迷っていると言います。帰蝶は光秀に問われ、龍興が義景をけしかけて美濃を取り返そうとしているので、義景を討てと信長に言ったと言います。
光秀が信長に会うと、信長はため息をつき、一人では義景に勝てないので、良い案はないかと言います。
御所を信長が修復したと光秀が言うと、信長は父が寄付をしたので父の供養で帝に寄付をしたと言います。
光秀は書物を引用し、仏がだれから教わったと問われると父親から教わったといい、その父は誰に教わったのかと問われると、更には空から降って来たものに教わったという逸話を語ります。流石、学がある光秀は信長の帝への施しが信長の父からの教えに従ったのを正しい判断だと誉めたのは文化人らしい光秀の奥ゆかしさです。
信長は、一番偉いのは、おてんとうさま、帝で、次に将軍だが、将軍が乱れ帝の御所が壊れたので、帝に教えて欲しいと言います。
戦をするのも、大義名分が欲しいと言うと、光秀は、それなら大名が集まるといい、そうでなければ信長一人の戦いになり、門を叩けば門が広がるかもと言います。
光秀は熙子らとは京都に行くことになります。
帝が信長が参内したいと言い、東庵に相談しました。東庵は信長は上洛を果たしたので、みるべきところがあるかと言います。
そして1570年、永禄13年2月に信長が帝に会います。光秀に、信長は帝は信長をよく知っていたと言います。見事な武勇を天下に示したと誉められ、天下静謐の為、励むように、畿内を平かにするなら戦はやむなしと戦の勅命を貰ったと嬉しそうに言います。信長にとっては、一気に道が開けました。
実際のところは、史実によれば、正親町天皇は晴門ら腐敗した幕府に領地も取り上げられ財政に窮していたので、信長に綸旨を与えて財政援助を引き出そうとします。
ところが過大な要求に嫌気がさした信長は元亀4年、1573年に譲位を要求したようです。その年に義昭を京都から追放し天皇に元亀から天正元年に改元させます。そして天正10年、1582年の本能寺の変の後、天皇は秀吉に太刀を与え秀吉に、なびきます。天皇が信長が、自分の言うことを聞かないので、光秀に謀反を促したという説と、そうではないという説があるようです。後者が有力のようですが。
義景に晴門から、信長が上洛し義景討伐をすると知らせが来ます。義景は上杉と将軍を支えるので、信長と戦をすると言います。
一番の見どころは、光秀が義昭らに会う場面です。
光秀は晴門と義昭に、若狭の武藤を成敗するように勅命が出て幕府の総勢で討つべしと信長が言ったと伝えます。
すると、義昭は戦を好まないと信長に伝えよと言います。義昭も信長のお蔭で上洛したので、強くは信長に反対できないようです。
すると晴門が、しらじらしい口実で、本当は義景を討つと言えばいいと言います。三淵は義昭は義景を討つなというのが本心だと言います。
光秀は義景は上洛出来なかったと義景の無力さを訴えます。
すると、晴門が、あの時は三淵がうまく切り抜けたというので、何のことかと思ったら、義景の嫡男を毒殺したのが三淵で、それで義景が上洛を諦めたと言ったのは、衝撃です。
しかも、晴門の家臣が京都から毒物を届けたと言い、信長が、一人で天下が支えられると思うな、晴門は、幕府は京都をでないと信長に伝えよと言います。
三淵も越前を出て良かったが、この戦は気が進まないので京都に残る、許してくれと光秀に言います。三淵は後に信長に滅ぼされるので、判断を間違えたようです。
永禄13年、4月信長が出兵します。
史実によれば朝倉と信長を裏切った浅井は六角と組んで信長の近江越えを防ごうとしますが失敗するようで、晴門の計画が狂うようです。
六角は柴田勝家と佐久間に負け、岐阜に戻った信長は家康と共に元亀元年6月、姉川で朝倉浅井と戦い勝利しますが、8月、信長が三好と石山本願寺出兵で摂津に行った隙に、義景は浅井と出兵し織田信治を討ち取り信長にショックを与えるようです。
しかし信長が近江に引き返したので、比叡山に立てこもり、信長は比叡山に味方するように頼むも無視され11月に義昭、朝廷が仲介して信長と義景が和睦するようですが、それでも再び戦が続くようです。貴族趣味の義景が、しぶといのは意外な気がします。
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織田信長の妹の夫である浅井長政が、信長を裏切り、信長が逃げ帰るというストーリーで、しんがりを木下藤吉郎と明智光秀が務め、見ごたえがあったと思います。
まずは、信長が逃げると決めた時の様子がものすごく悔しそうでした。
信長は帝に朝倉義景を討つように勅命を下されたことが嬉しかったのに、その期待に答えられないことが、は痒くて耐えられなかったのだなと思いました。
そして、しんがりを木下藤吉郎が務めると光秀に訴えた時の感じが切実な感じがしました。
しんがりの役目をきちんと果たして無事に戻ってからも、誰もしんがりを藤吉郎が務めたことを信じないというのも切ない感じがしました。
藤吉郎も光秀も壮絶な戦いをくりぬけたと思うので、相当辛かっただろうという感じがしました。
そして、光秀は信長に会いますが、信長が帝と帰蝶にどういう風に話せば良いかを悩んでいる感じが子供みたいな感じがして、信長は帰蝶には頭が上がらなかったのかなと思いました。
そして、摂津が信長の敗退を喜んでいる感じがさすがは策士という感じがしますが、あれほど信長のことを頼りに思っていた足利義昭まで信長不信になっているのは自分勝手な感じがして、信長と義昭の関係が心配になりました。
1570年、永禄13年(元亀元年)4月信長は家康、池田、久秀らと京都を出て朝倉を討ちに行き、敦賀を2日で手中に入れ、祝宴が行われ勝った気分でした。
光秀は幼少の頃に家康から耐え忍ぶことが、どういうことか判ったと言われ光秀に、いつか母上に会えると言われた思い出を語ります。戦のない世を作る為に闘うのだと禅問答を続け生きているう内に出来るのかと家康が言いますが、耐えて、やがて天下統一する家康の心がわかります。
一方、久秀は朝倉が金が崎では火を放たず逃げたと言い、朝倉が何を考えているのか不気味だと言っていましたが、義景は浅井が動くのを待っていたとは想定外だったようです。
長政が、兄信長に刃を向けるのは本意ではないが越前に手を出さぬと言っていた信長は弟も殺したので、信用できないとばかりに、お市に別れを告げて出陣したようです。
妹のお市を妻にした長政は賢政から信長の長を名前に入れて改名し、忠誠をつくしたのに信長が朝倉への不戦の誓いを破り朝倉討伐に向ったのが許せない気持ちも理解できます。
光秀は長政の叛旗を知り信長に報告します。信長は援軍を頼んだ覚えはない、なぜ、だと驚きます。信長は長政を、あなどっていたようです。
光秀は一乗谷を攻めるか、はさみ討ちにされる前に逃げよと言いますが、信長は自分が、当代一の武将だから逃げられない、一乗谷を攻めると言いますが、信長は天下統一まで死んではならぬ、お願い申し上げますると遮ったのは、迫真の場面でした。
信長は一人で考えると言い、家康と久秀は一乗谷攻めは危ないと言うと、信長は嗚咽を発し久秀らが驚きます。信長が現れると長政が出兵したというと、光秀に任せて逃げると言います。
本軍は柴田に任せ光秀は金が崎に残ると言います。光秀に藤吉郎は光秀に妹が死んだと言い、自分が生きる値打ちがあるかと問い、信長に引き立てて貰い、千人の兵を持つ足軽なので、しんがりを務めたいと言い、死んで名前が残るなら本望だと言います。
後に竹中半兵衛と秀吉が、小谷城の小丸にいた長政の父、久政を秀吉が攻め、父に従って信長に反抗した長政と一緒にいたお市を引き渡すように長政と交渉して、お市を救出したように、藤吉郎は失った妹の姿を、お市の姿にダブらせて助けたのかも知れません。
史実のよれば信長は逃げる途中でも、敦賀の朽木に殺されそうになるのを久秀の力で危うく難を逃れ京都に帰ったようですので、明智の撤退を進言した判断は間違っていなかたようです。やはり光秀の洞察力は優れていたと感じます。
一方、晴門は義昭に信長が京都に逃げ帰ったと言います。これで信長は正月に五か条を出してくるが、信長一人に頼るわけなにはいかないと義昭に釘を刺し、朝倉に礼状を出せと言います。明らかに信長は分が悪いです。
信長は光秀に、しんがりの大儀を誉めますが、信長は帰蝶から手紙が来ていて返事を何と書けばいいのか、帝に何と言えばいいのかと問います。
光秀は負け戦ではない、次がある限り大きな国が作れ、麒麟が来ると言います。帰路で麒麟の声を聴いた、信長には次があると言っていたというと、信長が笑い、光秀も笑い、3万を無傷で率いたと報告し次があると報告すればよいと言った場面は信長を励ます光秀の微笑ましい場面でした。
史実によれば京都に戻った信長は再び家康と共に元亀元年1570年6月、姉川で朝倉浅井と戦い勝利しますが、比叡山や石山本願寺の一向一揆勢力ととも戦う信長を脅かし実弟の信治が朝倉と戦って戦死するなど、まだまだ波乱の人生を光秀、藤吉郎らが支えるようです。
とうとう信長が朝倉攻めを開始しましたとうとうね。最初は駿河全域を手に入れるなど順調ですね。家臣達もみんなご機嫌で酒を飲んでいましたね。そして光秀は久しぶりに家康に会いましたね。家康もうれしそうでしたね。家康にとって光秀は尊敬する人物だったのですね。幼い子にもらった優しさを今でも忘れていなかったのですね。これからの交流が楽しみですね。そして松永久秀の戦に対する嗅覚は並大抵ではないですね。数々の修羅場をくぐってきただけありますね。そして、いよいよ浅井長政の裏切りが発覚しましたね。今回の見どころは浅井と朝倉の攻めをどのようにかわすかが見どころです。退却を説得する光秀の気迫あふれる姿とそれを聞き決断を下すやり取りが素晴らしかったです。浅井に対する裏切りに怒り狂う信長が怖かったです。その後に静かに軍議で浅井の寝返りを家臣に告げる姿は鬼気迫るものがありました。そして難しい引き戦のしんがりを務めたのが秀吉。秀吉の決意は硬かったですね。みんなに認めてもらいたかったのですね。そしてそれを受け入れた光秀お素晴らしかったです。でも本当に辛い戦いになってしまいましたね。京都では摂津が暗躍していますね。将軍にもう少し力があったらよかったのにとつくづく思いました。光秀の信長への機転の利いた励ましは素晴らしかったです。
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金ヶ崎城の朝倉勢の総崩れを見、これ以上の深追いは無用と見、撤退すべきと判断したまでの事。何故、将軍が金ヶ崎にいなかったのか、いれば浅井の裏切りを抑止し、朝倉も怯んだはずと明智光秀(長谷川博己)。だが、無言で立ち去る足利義昭(滝藤賢一)。そして、次の戦さに備え、堺に今井宗久(陣内孝則)を訪ねる光秀と木下藤吉郎(佐々木蔵之介)。既に250挺の鉄砲を売却する事になっており、300挺の要求に応じられないといいます。三好派に売るのでは⁉︎と色めきだったが、商いの秘密は守るが、茶会の出席者なら教えられると、宗久。茶会で顔を合わせたのは、大和の大名・筒井順慶(駿河太郎)。順慶は信長を敬っているというのです。そこで光秀は、200挺を譲ってくれないかと頼むが、即答せず。しかし、条件付きでなら合意。その条件は将軍と信長に引き合わせ、同じ大和の大名・松永久秀(吉田鋼太郎)と同様に扱って欲しいというもの。その結果、金ヶ崎での敗退から2ヶ月後、近江・姉川では浅井・朝倉連合軍とのたたかい。これには快勝したが、阿波から三好一族の軍、一万三千が摂津に。本願寺一向宗門徒数万が三好方につき、背後からは浅井・朝倉が京へ向け押し寄せ、信長は窮地に。将軍の摂津参陣と本願寺への停戦要請により、浅井・朝倉への攻撃に出ると、比叡山に逃げ込んだのです。そして、信長の比叡山への怒りは抑えられるものでなくなったのです。
明智光秀の聡明そうで落ち着いた品格が魅力ですね。比叡山焼き討ちの際の光秀の心理はどうなるのか、楽しみですね。
1571年、元亀元年4月、信長が京都に戻ったあと、光秀は兵を1000人失ったが引き分けだと義昭に伝えます。しかし浅井の裏切りで負けだろうと晴門は言い、3日前から心配で寝ていなかったというと、光秀は浅井が裏切ったのは4日前で、光秀は晴門の早耳を疑います。幕府内で誰かが浅井と通じているというと、晴門は朝倉は敵と思っていないと言い返します。光秀が怒ると義昭が晴門をたしなめます。晴門は信長の足元をみて義昭を信長から切り離したいようです。
光秀は義昭に世を平かにする為に戦っているが、義昭が京都を出ないのを高見の見物だと光秀が皮肉り、今度は義昭に出陣をして欲しいと頼みます。光秀にとっても将軍の御旗が欲しいようです。
一方、光秀は藤吉郎と堺に行き、今井は信長から鉄砲300丁を要求されたが揃わない、今朝250丁を売ったと言います。売った相手が三好の可能性があると藤吉郎が疑います。しかし光秀は今井の茶会に参加する人間から光秀は筒井だと類推します。
光秀と藤吉郎は筒井に会います。そこに駒が来て筒井が駒から光秀の話を聞いたと言います。筒井が駒の薬を買っていたので、信長の話を聞いて筒井は信長を敬っており、支えている光秀に会えてうれしいと言います。駒の力も大きいようです。
藤吉郎は駒が晴門や義昭にも繋がっているので、光秀の筒井への話は義昭に伝わると言います。
光秀は筒井に鉄砲を譲って欲しいと頼みます。筒井に駒も依頼すると筒井は160丁譲るが、代わりに駒に義昭に合わせて欲しい、光秀には信長に会わせて欲しいと言い、久秀同様に傍に置いて欲しいと言います。すると光秀は全面的に協力すると言い、筒井に鉄砲200丁を認めさせた取引は見事でした。光秀は駒に礼を言います。
2ケ月後、信長と家康は姉川の戦いで浅井、朝倉と戦い、勝ちます。家康が朝倉を叩いたと信長が喜びます。光秀にも鉄砲を集めたと誉めます。まさに、光秀が鉄砲をそろえなければ信長は勝てなかったかも知れません。
それにしても光秀が筒井を取り込んだのは大きい成果のようで、筒井順慶は久秀と大和を争い1571年,元亀年、久秀が武田信玄と通じると、義昭は筒井と通じて8月には三好、久秀連合軍と戦い、10月に光秀の斡旋で筒井は信長に従い、更に光秀の仲介で筒井と久秀が和睦します。
しかし元亀4年、1573年、義昭が京都を追われ、久秀が義昭に味方しますが、信長に降伏すると筒井は天正3年、1575年の長篠の戦いで信長に鉄砲隊50人を供出して貢献し光秀の与力になります。
しかし本能寺の変では光秀を応援せず秀吉に寝返ります。光秀にとっては筒井は教養人として馬が合ったようですので、裏切られた気持ちかも知れません。これも歴史の皮肉な運命です。
他方、家康は武田と戦うと言います。義昭が武田に上洛を促しているので、気をつけろと言います。義昭も足が地につかない、やじろうべえのようで信頼出来ません。
すると、三好が四国から1万3千の兵で畿内に責めて来ました。義昭はムカデが枕元に来たのはめでたい、三好を倒せと義昭が信長に言います。ところが信長が摂津で本願寺が三好についたので、苦戦し朝倉が出陣しているので、和議を結んで近江に向かったと義昭が聞くと、晴門は信長を捨てて朝倉に上洛させよと義昭に言います。
史実によれば石山本願寺とは10年以上の戦いになるので、信長が近江に切り返した戦術は正しかったかも知れません。
信長はうめき声を上げます。比叡山が朝倉をかくまうのを怒り、5万の僧兵がいると言うので、比叡山が神仏を尊ぶなら信長は仏を背負うと言います。光秀は仏は重い、信長が比叡山から多くを奪い、朝倉は与えたと言い、金ではないと言います。暗に信長の付け焼刃の仏心を皮肉っているように聞こえます。
それでも最初は比叡山焼き討ちに反対していた光秀が結局、一番活躍して選果を上げて、信長の、ほうびで坂本城主になるのも歴史の皮肉です。
朝倉は比叡山に領地を与えると言います。
比叡山を巻き込む血みどろの戦いになりそうです。
光秀と秀吉が堺の今井宗久に会いに行きましたね。宗久はなかなか食えない男ですが、秀吉はその上をいきましたね。最初は腰を低くして様子を伺いましたが、鉄砲の注文を断られたら本性を現しましたね。優しそうに見えて怖いですね。この頃から片鱗が見え隠れしていたのですね。それに対して光秀は穏便に冷静に対応していました。こんな冷静で頭の切れる人物が後々本能寺の変を起こすなんて今の時点では考えられませんね。その後、二人は鉄砲を買ったであろう筒井順慶に会いました。光秀は大胆にも順慶に鉄砲を譲って欲しいとお願いしました。その場にいた駒の口添えで義昭と信長に会わせることを条件に譲ってもらいましたね。この条件の攻防もなかなか見ものでした。光秀の説得で順慶が折れましたね。駒も義昭に気に入られてきれいになりましたね。でも本人は立場が変わり戸惑いが隠せないようですね。わかる気もします。そしていよいよ姉川の戦いで織田側が大勝利を収めましたね。そして家康が大活躍して信長に認められて良かったですね。立ち回りもそつなくさすがに賢いです。義昭にも真っ先に「食えぬ人だ」と疑いをも持つように光秀に進言しました。さすがに用心深いですね。そして信長は一向宗との戦いで苦戦することになりました。なかなか戦いは終わらないのですね。
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元亀元(1570)年、比叡山延暦寺の天台座主・覚如(春風亭小朝)に救けを求め、浅井長政・朝倉義景軍は比叡山に陣を敷いたのです。新しく京を実効支配した美濃・尾張の織田信長(染谷将太)は、延暦寺の京での領地や商いを一部取り上げ、覚如は信長への反感を強めていたからでした。
明智光秀(長谷川博己)は、かつて朝倉義景の客分として越前で過ごした手前、比叡山撤退の要請を伝えに行くが、覚如の強行姿勢もあり、うまくゆきません。「お経を唱える者は地の底よりいくらでも湧き出てくるようだから勝てるものではない」と義景。
そんな中、信長の弟・信興が伊勢長島の一向宗門徒の急襲に討たれ死去。信長は京を離れ、岐阜に帰ろうかと言い出しますが、明智光秀は反対。今京を離れては武家や朝廷の求心力は失くなり、無秩序的になる恐れが。
その為、やむ得ず、延暦寺の領地を返し、商いも認めるとして、正親町天皇の勅命で和睦。ただ、幕府の侍所の頭人・摂津晴門と延暦寺天台座主で正親町天皇の弟・覚如は甲斐の武田信玄を京に呼ぶ文を出す等、反信長の工作を強めています。
そして、大和の松永久秀は、領地争いをしている筒井順慶が幕府で優遇される事で反幕府の姿勢を示してしまいました。また、煮え湯を飲まされた信長は、元亀2年秋、比叡山の麓に兵を集めたのです。「今日まで山を立ち去れと何度も申し伝えてきたはず。皆切り捨てよ」。
女・子どもにも容赦がなかったとして、明智光秀にも信長への信頼が揺らぐきっかけが生まれたという事件が起きました。光秀役の長谷川博己さんの表情に注目ですね。
元亀元年11月、朝倉は延暦寺に立てこもります。佐久間らは叡山攻めを躊躇いますが信長は攻めると言います。
義昭は義景と信長が何時まで闘うのかと晴門を問いますが、晴門は義昭に頼んで和睦せよと言うと答えますが、晴門が本気には見えません。
義昭は光秀を、嫌なことでも正直に言ってくれるので死なせられないと駒に言います。光秀を、かなり信頼しているようです。
光秀は山崎に会いに延暦寺に行くと信長に言います。山崎の仲介で、窮地に立った信長の為に光秀は朝倉に和議を申し出ます。
義景は光秀が昔,美濃を追われ越前に来て義昭に気に入られ幕府も一目置かれているが、今までの恩はどうしたかと言われると、恩を返す為に無事に国へ帰れるように願うと言います。光秀なりに義景に、かくまわれた恩を返そうとしますが、義景は困っていないと言います。
光秀は雪が降れば2万の兵を養わなければいけないので、越前に帰る潮時だといいます。光秀は理性的で冷静です。
義景は覚恕に会ったことがあるかと言い、光秀に覚恕の姿を見せ、義景は覚恕は領地や寺、神社、金を奪った信長を許さないと言います。一向宗と長年戦って踏み潰しても地から湧く虫のようで、勝てないから信長に膝まづけと言います。たしかに一向宗や本願寺とは10年以上の血みどろの戦いになるので、義景の言葉も嘘ではない様です。
光秀は覚恕に会わせろと言います。覚恕は光秀に自分が醜い、兄に百歩及ばないと言い、兄の帝に会ったことが有るかと言います。自分は生まれて3本も歯が生えた醜い子だと言われ、出家させられたと言います。しかし自分は金と力を持ったと言います。帝からも金を貸してくれと言い、美しき者に勝ったのに信長が領地も金も奪ったので、返せと怒ります。覚恕は帝に相当な劣等感を持っているようで、そのリベンジで帝に逆らっているようです。しかも正親町天皇は覚恕の異母兄になりますので、余計妬みが強いようです。信長も虎のしっぽを踏んでしまったようです。
駒に子供が500粒も薬が欲しいと言い、妹を買い戻す為に叡山に売ると言います。延暦寺も堕落しているようです。
信長の弟の信興が一向宗に討たれます。覚恕は成り上がり者に夢を見させぬと言い、晴門と笑います。信長はいよいよピンチです。
晴門が覚恕と組んでいて義昭を通じた和睦がうまくいかないと光秀が信長に言います。信長は京都を捨て尾張に戻ろうと言うと、光秀は坊主に負けたというのかと言われるので、反対しますが、信長は皆が誉めてくれると言いますが、帰蝶は笑うかと信長が言い、思い留まります。笑える場面です。
信長は帝に和議を願い出ます。帝は延暦寺から取り上げた領地を返し商いを認めると信長が言って来たと東庵に相談します。覚恕は帝に頭を下げさせたいのだろうと言います。酒、女、すごろく、闘鶏にうつつを抜かす無残な弟だと言います。
帝は、東庵に、信長を助けてやろう、館の屋根を覚恕の代わりに直してくれたと言います。覚恕は金を公家に貸して領地を奪ったので、覚恕との戦いだと言います。帝も覚恕の横暴を止めたいと思い、信長に立ち直るチャンスを与えたようです。信長にとっては、地獄で仏に会ったようなものです。
12月、帝は和睦の勅命をだし、信長が撤兵します。晴門は覚恕に武田を上洛させたいというと覚恕は武田と文を交わしているので賛成します。
義昭、筒井、久秀、晴門が呉越同舟になります。久秀は光秀に筒井の祝の席で、義昭の養女を娶ると知って怒ったのです。久秀は義昭に裏切られ幕府を離れ大和で筒井と戦うと言って帰ります。晴門が光秀に義昭に会えと言います。
光秀は晴門に、なぜ、久秀をわざと呼んだと咎めると、義昭が手を結べとの親心だと言います。戦が終わったと晴門が言うと、まだ終わっていないと言います。古い悪しき者が残っているので、戦は続けなければいけないとにらみます。史実でも、これから筒井は光秀に加担し、久秀と筒井の戦いが始まります。まさに晴門が、けしかけた信長勢力の内部分裂工作がうまくいくようです。
元亀2年、1571年9月、一向一揆と戦い叡山に向かいます。信長は叡山を潰し全てを討ち果たせと言います。覚恕は焼き討ちの5日前に帝に会って相談して京都にいる間に焼き討ちに会い天台座主を辞めようとしますが留まるようです。しかし延暦寺再興を武田に頼んでも断られ願いを叶えず病死します。
武道を持たぬ者はどうするかと光秀は問うと、信長は全て殺せと言います。一人残らず斬るかと伝吾が問うと光秀は女子どもは逃せと言います。
信長が残虐で、全て焼き払ったかのように言い伝えられますが、後の史実で、実際に焼けたのは大講堂と根本中堂など限られた場所で、主に焼き払たのは坂本だったようです。
又、4000人が切り捨てられたとされていましたが、ほとんど坂本の人間だったようです。
光秀は当初は信長に焼き討ちを反対しますが、結果的には忠実に信長の命を守り3万の兵で攻め、信長に仕えて3年で、信長の家臣の序列では丹羽、佐久間、柴田以下だったのが光秀は4000貫、秀吉は2500貫を信長から与えられ、光秀は家臣で一番早く坂本城主になります。光秀にとっては比叡山攻めは、苦しい選択だったようですが、結果的には、この時点では圧倒的に信長の信頼を得たのも皮肉な流れです。
今回は叡山と信長、それを取り巻く周りの人間の攻防戦が見どころでしたね。光秀は義景に冬になる前に戦をやめるように提言をしに叡山に出向きましたね。そして覚恕に会いましたね。義景はお経を唱える人間に勝ち目はない、手強いと教えてくれましたね。
案外優しいところもあるのですね。その上、覚恕に会わせてくれました。本当はいい人のような気がしてきました。実際に会ってみた覚恕はコンプレックスの塊ですね。兄の正親町天皇が美しいことを羨ましくおもっていたのですね。醜いから寺に出されてしまったと。ちょっとかわいそうな気もしましたが、被害妄想も激しい人なんですね。
お金と権力を手に入れてみんなに膝をおられることに慣れて快感を覚えてしまったのかなと感じました。それをかすめ取って行ったのが織田信長だと言っていましたね。決して信長はそういうつもりではないと思います。そして、ここにも摂津が絡んでいましたね。
そんなに信長が気に入らないのかと驚きます。お互いに都での権力を手放したくないのですね。それが叶えば他人はきっとどうでもよさそうですね。なんて腹黒い人達なのでしょう。しかし、このことが信長の耳にも入りましたね。しかし、状況は四面楚歌で厳しい状況です。光秀は和睦を勧めて信長が帝に和睦のお願いをしましたね。正親町天皇はいろいろなことが読める賢い人だったのですね。
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ついに、織田信長(染谷将太)は、明智光秀(長谷川博己)、松永久秀(吉田鋼太郎)らは、比叡山延暦寺に攻め込みます。信長の命令は、比叡山にいる者すべてを根絶やしにすることであった。
大きな権力を持ち、財もなし、大名も従え、政治にも干渉する延暦寺は朝廷の帝からも疎まれていました。幕府立て直し、国の立て直しのためには、比叡山を攻撃するしかなかったのです。
織田軍連合軍は総攻めで、僧侶すべてのを殺害。ただ一人、比叡山のトップ「撹恕(春風亭小朝)」は逃がしてしまったが、織田連合軍の大勝利。明智は、信長に「女子供は逃がしました」と伝えると、他の者なら即刻打ち首である、そなたは今回の一番の功労者なので許されます。
しかし、あまりに比叡山の焼き討ちは残酷すぎること、神仏、仏閣も完全に焼き払うという信長の荒々しさを世間に見せつけることになってしまった。比叡山延暦寺の出過ぎた行為と乱れた僧侶は、国としても厄介でありましたが、やりすぎた信長は幕府や京の民からは怒りを買うのでした。
帝だけは褒めて下さったため、信長は満足であった。そんななか、幕府は信長から離れる計略を画策するのでした。大和の国で覇権争いを繰り返す、松永久秀と筒井順慶(駿河太郎)の戦で筒井側に加勢したら、織田は松永につくだろう。
それで一気に近隣大名も含めて、織田を倒す作戦である。たまたま、駒(門脇麦)からその事実を聞かされた明智は、筒井順慶に会うのでした。戦を止めたい明智は、順慶と話すが気持ちは動かない。では、堺の今井宗久のところに行くことに誘うと、駒も一緒ならという条件で、堺にいくことになりました。
いるのは、松永久秀です。敵同士を引き合わせた、明智は松永に別部屋に呼ばれ、戦を辞めて欲しいというが、松永は拒否します。しかし、明智が自分の領地の滋賀2万石をやるということで、戦が治まりました。事後報告として、明智は信長に会うと大喜びです。
幕府から書状がきて、筒井に加勢するようにということだから、松永を討つところだったので、困っていたというのです。幕府側に着こうとする信長ですが、裏では反信長の動きが始まるのであった。比叡山で討ち漏らした「撹恕」が武田信玄(石橋凌)のもとに、助けを求めに行くのでした。ついに、武田信玄は、織田討伐を約束するのでした。
1571年、元亀2年、9月信長は比叡山を襲います。座主は東国に逃げ、柴田は坊主を、ことごとく討ち果たしたと信長に報告し信長は満足そうですが実態は違うようです。
光秀は信長に、正直に女、子供は見逃したので許せというと、信長は聞かなかったことにする、他の者なら許さぬが以降は女、子供もいずれ刃を向けるから、討ち取れといい、光秀に2万石の領地を与えると言います。
内心は信長に違和感を感じながら女、子供は逃がしたのが、せめてもの信長への抵抗だったようですが、戦果を挙げた光秀だからこそ、今回は見逃したようですが、2人の間に隙間風は吹いているようです。
義昭は三淵、晴門に僧侶や女、子供も殺されたと怒り、晴門は叡山に信長が手を下すと思わなかったと言います。義昭も信長は何をするかわからない、幕府が信長の肩棒を担いだと非難されていると言います。晴門は信長と縁を切ったほうがいいと言います。晴門は筒井が久秀と戦っており義昭が筒井を応援すれば信長と幕府が対立し大名が幕府になびくと言い義昭に覚悟があるかと問います。義昭が信長に叛旗を翻すのも時間の問題のようです。
駒に筒井が会うと叡山から避難民が来て二条城内にかくまいます。興福寺が久秀の焼き討ちに会い、筒井は義昭に応援を頼みに来たと言います。
光秀の子、十五郎が生まれます。たまが伝吾郎と市に行くと明智が悪者にされていて、たまが頭に怪我をします。明智は自分が叡山で戦をしたのがいけないと言い、たまに謝ります。たまは悪いのは、戦で光秀は悪くないと言います。光秀にも良心の呵責がありそうです。
すると駒の薬を売って母を助けた子供が戦で8文だけ残して死んだといい、戦に良しあしはない、義昭が信長から離れようとしているのが恐ろしいと言い、筒井が久秀と戦をすると言います。光秀は信長と義昭の対立をとめねばと言います。駒にとっては、これ以上の戦乱が許せないのがわかり、光秀の心を動かしたようです。
光秀は二条城に行き、筒井は信長を敵と思わないと言い、光秀は信長に会わせると言いますが、筒井は久秀が許せないと言います。光秀は一緒に堺で今井と茶会に行かないかと言い、駒も同行します。巧みな光秀の戦略です。
最初の見どころは堺で筒井と光秀が今井に会う場面です。久秀がいて筒井と光秀が久秀に会います。易占いをしていた久秀は2年前に母がなくなり50歳を過ぎて易をすることにしたと言います。戦に勝てるかと光秀がとうと筒井を前に教えられないと言い、筒井が知りたいというと久秀は肩衝茶を千貫で買うかというと、10貫なら買うと筒井が言います。茶人の久秀が筒井の文化教養度を測ったようで、面白いです。
久秀は光秀を別室の呼び、どうしろと言いのかというと光秀は戦いをやめろと言います。
久秀は大和を自分の物にしたいというと光秀は近江2万石譲ると言い、信長に承知させると言います。光秀の捨て身の戦法は奇抜です。
久秀は考え込み、信長と義昭は長く持たないと思ったと言い、光秀は困ると言いますが、義昭は古き物、家柄を守るが信長は壊すと言い、久秀は信長が叡山を焼き討ちすると思わなかったと言うと、光秀もやり方が自分も納得いかないと苦しい胸の内を打ち明けたのが理解できます。
しかし久秀は、あそこまでやらねば世の中は変わらないと言いながらいずれ、信長とは争うと言いながら、筒井とは一旦和解していいと言います。
久秀と光秀は、お互いに信長への本心では共感し合え、久秀は今は争いを避けて様子を見ることにしたようです。
久秀と筒井の戦いは根が深く、元亀元年、1570年,7月久秀は信長から大和の支配を任され12月には筒井と久秀に抵抗していた三好3人衆も久秀と和睦します。
しかし元亀2年、1571年5月、久秀は義昭の臣下の河内の安見を自害させ、義昭は久秀に不信を持ち九条家の女を幼女として筒井に嫁がせたので、余計、63歳の久秀にとっては若造で22歳の筒井が気に入らないようです。
それ以降、大和の国衆が久秀から筒井になびき、久秀は三好義継と辰市城の筒井を攻撃し負けて10月に筒井は光秀の斡旋で久秀と和睦します。
ところが、その後も義昭と度々信長に謀反をおこし1577年、天正5年、信貴山城で信忠に負けて久秀は自害します。
佐久間信盛は名器の古天明平蜘蛛を差し出すように諭しますが、久秀は逆らって信長に渡すことことなく茶器を壊して68歳で自害したように、ひねくれものが、貧乏くじを引いたような運命に見えます。一方、筒井は信長の娘をめとり大和国主になってハッピーだったのは対照的で皮肉な運命です。光秀が筒井を見込んだのは正しかったようです。
一番の見どころは、光秀は久秀が近江は要らぬが光秀の面目を立てて戦をしないと信長に報告する場面です。今の信長には和戦両用で頼れる部下は光秀しかいません。
信長は久秀と戦をする覚悟はあったが、帝に気を使っていると言い、義昭は的外れで帝の言葉が自分に響くと言い、もはや信長は義昭を見限っているようです。帝は叡山の件は、やむをえなかったと褒められ、大儀だった、頼みにしていると言われたと言い、嬉しそうでした。
信長は義昭より正親町天皇を利用しますが、そんな信長も、いずれ帝を見限って退位を迫るようです。覚恕追放でお互い、たまたま利益が一致したようです。
帝は関白が来た時に、信長を使って覚恕を追い出したという噂があるが、そうかもしれないと言ったと言いました。関白は信長は荒々しいので近づくなと言ったそうですが信長でなければ覚恕は廃除できなかったので、ほめてやったと東庵に言います。
覚恕は信玄に悔しいと言うと、仏法の火を消した鬼だと信玄が言い、信長をほろぼすと言います。そういう信玄も延暦寺再興は出来ずに死ぬようです。覚恕も寺の復興ならず無念の死を迎えるのも天罰かも知れません。
叡山の焼き討ちが終わりましたね。光秀は正直に女と子供を自分の一存で逃がしたと信長に言ってしまいましたね。
黙っていれば分からないのにと思いました。それを聞いた信長は何かのきっかけで光秀に不信感を持ってしまうことは目に見えて明らかなのにと思います。
光秀が思っているほど信長は情け深くはないと感じ増した。今は勝ったので褒美をもらいましたが今後の光秀の命運を左右するような一場面でした。ここから信長の光秀への不信感を少しづつ募らせていくのかと思いました。
幕府ではこの一件で大きく揺れました。相変わらず摂津は傲慢ですね。周りや将軍が反対しているのもお構いなしでしたね。叡山の焼き討ちの影響で光秀は恨まれてしまいましたね。
そして石を投げられて玉がケガをしていまいました。子供にまでそんなことをしなくてもいいのにと思いました。子供には関係のないことなのにとかわいそうになりました。
玉は東庵と駒に手当をしてもらい無事で本当に良かったです。玉は良くできた子ですね。駒が将軍が信長から離れようとしていると教えました。そして松永と筒井んぽ戦いが始まるとつげました。これも摂津が幕府の実権を握ろうと暗躍しているせいです。本当に欲が深い人ですね。
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元亀2(1571)年秋。近江国坂本に城を建てんとする明智光秀(長谷川博己)。京住まいを好み、当初坂本を好かなかったといいます。しかし、城持ち大名になったのは、織田信長家臣では初めて。
信長のこれからの方針は幕府の威光よりも朝廷の権威。幕府はこの百年内輪揉めを繰り返してきた。「そろそろ見切り時では⁉︎」(木下藤吉郎(佐々木蔵之介))。武田、朝倉、浅井の蜂起を促し、幕府を盛り返そうという幕臣の中心人物・摂津晴門(片岡鶴太郎)。
藤吉郎の母・なかが医師の望月東庵の所を訪ねると、藤吉郎は近江横山城城主になったが、明智光秀は幕府で立場が悪くなっているといいます。将軍・義昭(滝藤賢一)は苛立っているようです。
幕府を動かしているのは摂津。光秀は近頃義昭よりも信長を大事にしようとする。そんな中、摂津の光秀暗殺計画。負傷した光秀は義昭の部屋に逃げ込み、摂津ではなく信長側に立つ事を要請。応じた義昭は摂津を幕府政所から追放するも、一言。
「信長とは性が合わん」。「三淵やそなたが頼り」とも光秀に。幕府の役人がごっそり抜けた幕府で光秀の役割はますます重要に。光秀は正親町天皇にも拝謁し、坂本城築城の計画を具体化していくのです。
将軍義昭、少し変わった人で、ユニークな文化人だったといいますが、光秀とは正直な会合ができなくなったのかもしれません。それほど、信長とは性が合わなかったのでしょう。
1571年、元亀2年秋、光秀は近江の坂本城を建てる計画があります。熙子は、近江から湖を見たいと言います。藤吉郎が来ると光秀を誉めますが、内心ねたんでいるように見えます。
米を税として取り公家に配り幕府を懲らしめるというと、光秀は幕府に喧嘩を売るような信長の命令に怒ります。信長は義昭より帝との関係が重要だと考えていると言い、藤吉郎も幕府は100年も揉めているので、見切り時だと賛成しますが、光秀は義昭を戴けと反対します。藤吉郎や信長との意見の違いが鮮明になって来ました。
一方で晴門は光秀暗殺計画を立てます。4日後に開かれる義昭主催の茶会で光秀を襲う予定です。武田、朝倉も味方につけたと晴門が言い光秀、信長を潰すつもりのようです。
藤吉郎の母が駒を訪れ熙子に会います。光秀は幕府のねたみを受けていると藤吉郎が言っていたと言います。光秀が坂本に行きたがらない理由が判ります。もしかして良く解釈すれば藤吉郎が母親を使って熙子に光秀の危うい立場を教えたのかも知れません。
最初の見どころは、義昭に駒は光秀の妻子を京都に人質として留め置くように言ったのかと問うと、信長が信用できないからだと義昭は怒ります。晴門が幕府を動かしているから従うしかないと言い、晴門しか味方がいない、光秀は坂本に行き、義昭から離れると不安を吐露します。自分の首を絞めたくなると言い、優柔不断だと責められても言い返せない自分が口惜しいと言う。義昭が、本当は光秀を頼りたいが、ままならない自分の姿に苦しんでいるのが判る見事な心理描写でした。
次の見どころは、茶会に藤孝が来て光秀に出ない方が良い、晴門に殺されると言い、三淵を味方につけろと言います。光秀は義昭に会いに行きますが、刺客に襲われ義昭の元に逃げ助かります。光秀は怪我をしながらも笑い、3年前にも本国寺で三好に襲われ義昭が逃げたと言います。
3年前、美しい都にすると思う思いは義昭と同じ思いだと言います。晴門ら古き物を捨てる良い機会だと言いいますが、義昭は、捨てて、その後,どうするかと言われ、信長への不信感を露わにすると、光秀は信長が勝手な事をするなら坂本城は返す、義昭を守ると言います。
義昭は茶会をやめると三淵に言うと、晴門は止めないと三淵が言います。藤孝が門前にいるので、義昭の命令で中に入れると言います。晴門が従わなければ政所を解任すると義昭が言います。義昭は、光秀に信長とは性が合わない、光秀と三淵が頼りだと言ったので、晴門を見限る決意が出来たように見えます。
三淵は義昭の上意だから神妙にしろと晴門に言い、晴門は何故だ、おのれと怒ります。晴門の計画が失敗したのは良かったです。
藤孝が光秀をひいきにしていたので、伊呂波が駒に言われて藤孝経由で光秀を助けたようです。危ない所でした。
1568年、永禄11年に晴門はライバル伊勢貞為が義昭に解任され政所執事になりますが、1571年、元亀2年、かつて失脚した晴門のライバル伊勢家の貞興が政所執事になり晴門は失脚します。義昭に疎まれたようで、政務は柴田、蜂屋、森、佐久間らが政務を行ったので、晴門は信長との政争に破れたようです。
一方、晴門がこれほど力を持っていたのは父の代から幕府の官途奉行という地位を得て官位を目指す大名から礼金を得て富を蓄えたのも理由のようです。なお、義輝が三好に殺された1565年、永禄8年、晴門の嫡子の千代丸も三好らに殺されて摂津家は後継が居なくて晴門は1573年、元亀3年以降、歴史から名前が消えます。歴史の流れに逆らった、はかない運命でした。
光秀は伊呂波に、信長は帝に褒められるのが嬉しいようだが、それが光秀はわからないと言います。伊呂波は帝のおぼえがめでたい人がいて、栗を届けるので、一緒に会おうと言います。
最後の見どころは、光秀が実澄、三条家の当主に会う場面です。三条西実澄が帝は一点の曇りもないと言います。そして万葉集の歌のことを光秀に問うと、柿本人麻呂の歌が好きで、国、帝、妻への想いが胸に響くと武士でありながら文化教養の高さを披露します。
帝は実澄に光秀があったと聞き、実澄は光秀が万葉集の歌を詠み、歯ごたえのある武士に会ったと言います。光秀の人格が評価されたようです。
帝は実澄が明智を気に入ったのなら連れて来いと帝が言うと、後日、伊呂波が来て実澄が光秀と帝に内密で会いに行こうと言います。実澄と伊呂波の前に光秀が現われ御所に向かうようです。光秀が帝、義昭、信長の仲介を試みるのかと楽しみです。
史実では、帝は晴門の言うなりの義昭に良い感情はなく、信長に傾倒していくようで、義昭は信長に叛旗を翻すようで、光秀が帝と義昭の板挟みになる過程で、やがて信長に不信感を抱くようです。ただ、信長に対する個人的うらみで光秀が本能寺の変を起こしたのではなく、やがて帝は信長に退位を迫られ、義昭も追放されるので、天皇や義昭らが本能寺の変の黒幕だという説に従って、このドラマが描くのかと推測します。
光秀は坂本で城持ち大名になれるのに嬉しくなさそうですね。妬みや裏切りが幕府内に渦巻いていますから。この時から今後の自分の運命を予感するところがあったのかもしれません。
秀吉は人当りがいいですが、光秀の前では本音が全開ですね。しかし光秀とは意見が異なり幕府を見切っていますね。そしてまたまた摂津が悪いことを考えています。光秀が幕府を裏切ると思い、浩子や娘たちを人質に取ろうとしていますね。
本当に腹黒くてやる事が汚いです。そして煕子と玉は秀吉の母からそのことを聞いてしまいました。悪い人ではないですがデリカシーのない人です。こんな形で知ってしまうなんて煕子がかわいそうでした。そんな幕府の中でも藤孝は光秀を助けようと必死でした。
本当にいい人ですね。とうとう光秀が襲われてしまいましたね。義昭は三年前とは変わってしまったのですね。こんなことになって本当に悲しいです。義昭には古い慣習を捨て去りきることはできないのですね。上に立つ覚悟が兄ほどにはなかったのでしょう。
今後の信長との関係に暗雲が立ち込めてきましたね。ここまで義昭が頑なだとは思いませんでした。なかなか思い通りにいかずに苦しむ義昭を見て少し気の毒な気もします。みんなが幸せになるのは難しいですね。
36話の感想・ネタバレを見る ➡
光秀は念願の帝に会いに御所に実澄と一緒に行きましたね。怖そうに見えて実澄は案外優しい人なのですね。光秀のことをとても気に入ったのでしょう。光秀のことを鳥に例えて紹介するなんて風流で粋ですね。帝も漢文で光秀に手紙を託しました。
お互いに顔は見えなくても話ができでお互いの人柄や志を知る事ができましたのね。光秀はとても感激したことでしょう。人生の一番の宝物になりましたね。しかし、家に帰ったら勝家や秀吉、信盛が待っていて一気に現実に引き戻されました。
秀吉は人当りの良さの裏に腹黒さが見え隠れして本当に怖かったです。三人の中でやっぱり一番油断ならない感じがします。やはり敵に回したくはない人物ですね。秀吉が裏切るであろうと踏んでいる義昭は何かにとりつかれたように剣の練習をしていましたね。
光秀にはかなうわけもなくあっさりと負けてしまいました。義昭は兄の影を追いかけているのかもしれませんが兄と同じようにはなれませんよね。そしていよいよ坂本城が出来て一番に煕子を連れて行きましたね。光秀は本当に煕子を大切にしていたのですね。
本当に素敵な夫婦ですね。羨ましいです。光秀は家族を人質として京都に残せと言った義昭の命令を聞くことを拒みました。本当に家族を大切に思っていたので、大きな決断をしたのですね。
1572年、元亀3年、冬、伊呂波、三条実澄の力で光秀は帝に会います。三条は光秀に帝の声を聞けと言います。
水を渡り復水を渡りの和歌が聞こえ、三条が和歌の解説をします。三条は帝に、庭に珍しき万葉の歌を詠む者が来ているといい、光秀を紹介するのが古式ゆかしいです。
朕は、この歌のごとく日々生きたいというと、光秀もそう思いながら迷っている、穏やかな世を望むというと、迷わずに歩もうではないかと帝が言い、光秀の名を胸に留めおくと言い、光秀は感激するようです。
三条は古今伝授で有名な歌人で大名に招かれて武田氏や今川氏などに源氏物語を講義して回ったそうです。元亀4年、1573年、4月に義昭と信長の和睦の使者として正親天皇が三条と関白の二条晴良を派遣します。三条は信長に接近し義昭との連絡係になったようです。元はと言えば、光秀の築いた人脈のお蔭げ、根回しのお蔭だとも言えるでしょう。
そして信長は武田信繁らの内情に詳しい三条を重宝しますが、三条は天正7年、1579年に内大臣に昇格してすぐに68歳で急逝します。
一方、藤吉郎は柴田と佐久間に信長に、おもねすぎたと言います。
藤吉郎は義昭は始末に負えぬと言い、久秀と戦えば義昭と通じている朝倉と浅井が美濃を攻撃すると言います。
柴田も佐久間も本心では久秀を討ちたいと思っているのかと言います。柴田は光秀が叡山を攻めた際、女、子供を助けたと信長に言ったので、光秀に信長に注進して欲しいと言います。柴田も藤吉郎の意見に同調しながら信長に逆らえず、今や光秀だけが信長に意見が言える存在のようです。
光秀は義昭に会います。義昭は晴門を追放し、義輝を見習って剣の修行に懸命でした。光秀は義昭と木刀を手合わせし義昭の刀をかわします。義昭の腕は武術にたけた義輝には及ばないようです。義昭が、力のない、言うだけ番長のような姿に見えます。
坂本城が出来て熙子を連れて光秀が行き、光秀は家族を義昭の人質として京都には置けないと言います。
熙子が京都と美濃と、どちらに気を引かれているかと問うと、どちらとも言えないという、光秀の苦しい胸の内が判ります。
1572年、元亀3年、久秀と三好を討つ為に義昭が出陣しますが信長は出陣しません。
信玄は信長の動きが悪いのを見て、義昭から上洛を求められ出陣を決め、家康を討つと言います。
岐阜城で信長は光秀に3日前、信玄が上洛して自分を義昭に突きだし五条の橋に曝せと言われた夢を見たと言います。
信長は義昭を手紙で諭したが、義昭が自分に無断で、大名に御内書を送ったり、信長のメンツが立たないと言い、信長は義昭に鷹を贈ると言います。義昭は鷹狩りでもして暇つぶしをすればよいという意味かも知れません。信長の義昭への不信感も限界のようです。
光秀は信玄が2万以上の兵で攻めるので、家康の7,8千の兵に追加の3千の兵では勝てないと言います。信長は家康を助けに出陣すると言います。
光秀は、義昭を戴いて、後、3千の追加を出せと言います。
信長は自分を追い落とすつもりかと言い、義昭が信玄らと通じていていると言い、笑いながら、信長は帰蝶が光秀は、どこまでも光秀だと言っていたと言います。
つまり、光秀は自分の見方を考えない柔軟性のない人間だと信長は馬鹿にしているようです。信長には、光秀の、これまで信長に良かれと思っての苦労が判っていないのでしょうか。
信長は、そうは言いながら、朝倉や朝廷にも顔のある光秀を使って義昭を追放してから義昭を支持する国衆が多い丹波を光秀に平定させますので、光秀は切れないのです。
すると三方が原で信玄に大敗したと連絡が入ります。
義昭は光秀に信長と戦うと言い、信長からの17ケ状の文で、財をため込んでいるとか帝をないがしろにしていると言うのが我慢できない。信玄と組むと言い、三淵は光秀に義昭と組めといいます。
光秀は松永を討てと言ったのは義昭だと言い、考え直して欲しいと言い、泣いて頼みますが、義昭は考えを変えません。光秀は、義昭と組めないと言って去りますが、いずれ、義昭は信長によって京都から追放されるので、光秀の判断は間違っていないようです。
光秀は籠から出た鳥だから又、戻って来るかも知れぬと言います。
1573年、元亀4年、3月、義昭は畿内の大名に信長討伐を促しました。義昭は自分が墓穴を掘っているのが判っていないようです。
上洛を助けたものの将軍より帝に傾倒気味な信長。とりあえず三条のつてで帝の屋敷へ連れてもらった光秀。立場上、直接拝顔は出来なかったものの文をもらい遠くから想いを伝えることが出来たのでお互いに認め合った手ごたえがあったでしょうね。
品格があり信長が憧れるのも理解出来た様子でした。そこへ信長からも呼び出され、夢で上洛した信玄に捕まえられ将軍の命令で酷い罰を受けることになったところで目が覚めようで今までの態度を少し反省?したのか貢物を持って将軍の所へ行くように命じていました。
ただ信長は以前に帰蝶から「光秀はどこまでも光秀」と聞いていたので光秀の性格を知って義昭へどうとりなすのかも試しているような気もしました。とにかく浅井、朝倉の敵だけでなく、前に一緒に戦った家康や松永たちの戦の行方なども見どころでしょうね。
結局、義昭は信長の申し入れを断り、光秀も一緒に戦うように持ちかけます。光秀は断りましたが心境は複雑そうだったので今後戦況によりまた関係が変化するかもしれませんね。駒にも義昭から文があり戦いが近いことを伝えられていましたが、光秀を何かと助けてくれたので今後、駒から何か将軍へ進言があるのかも気になるところです。ラストは義昭が出陣するところで終わりいよいよ信長との一戦となるようです。
37話の感想・ネタバレを見る ➡
1573年、元亀4年、信玄の進軍が止まります。義昭は槙島城にいましたが信玄や朝倉の援軍が得られず孤立します。そして藤吉郎に捕まります。
義昭が、藤吉郎の前で、「うおー」と言って刀を振り上げる姿が滑稽で、ぶざまな裸の将軍です。
光秀に、崇め奉った将軍様の姿を見ろと言い、これからは我らの時代だと藤吉郎が言います。それでも光秀が黙って義昭に膝まづく姿に、落ちぶれても義昭を敬う心が光秀には、あるようです。
二条城にいた三淵も捕まって伏見城で藤孝に再会します。枇杷庄に義昭がいて信長は殺さないと光秀がいうと、三淵は藤孝に信長に情報を流したと怒りますが、藤孝は自分は世の中の流れを見たと言います。
岩成を討てと藤孝が信長に言われたので、淀城を協力して攻撃しようと言いますが、三淵は納得できないようです。
三淵は義昭を助けて欲しいと光秀に言うと、お互い紙一重の立場の違いだと言い光秀に協力を願います。史実では藤孝は光秀死後も生き延びますが、信長に睨まれた三淵は不幸にも、いずれ自害するようです。
菊丸の情報で信玄が死んだと光秀が知ります。
信長は1565年、永禄8年に自分の養女の徳姫を武田勝頼に嫁がせますが、徳姫が信長に、家康の長男の信康が武田の家臣の娘を側室にし横暴だとか、家康の妻の築山が武田と密通していると書状を書くと、信長は怒って、家康の妻と信康の殺害を家康に命じます。
家康は妻を殺害し信康に自刃を命じます。すると信長は息子の信忠に、信玄の娘、松姫と結婚させるなど信長、家康、信玄とは常に緊張関係にあったようです。信長の背中にいた信玄が相当脅威だった上に、三方ヶ原の戦いで家康が信玄に負けたので、信玄の死がなかったら、信長は、相当ピンチだったかもしれません。
枇杷庄で義昭は駒に会います。上杉、朝倉、武田、毛利などに書状を書いて信長を討つと言いますが、駒は勝てると思うかと言い、将軍をやめるように言います。これからは平和になると思ったのに戦が続くと義昭を非難します。義昭は武家がまとまらず、戦が終わるには戦しかないと言い、駒を欺いたかも知れないと本音を言います。義昭は、他人に責任を転嫁して平和を望むと言いながら、信長への私怨で動いているとしか思えません。
信長は改元を考えています。光秀が信長に一条寺山城が和議に応じたというと、改元を将軍に代わって帝に進言したら、5個の案を出したので、天下が正しい、天正がいいと言います。
光秀が義昭をどうするかというと、追い払えばいい、藤吉郎に任せたと言います。殺さないのは、せめてもの温情なのか、将軍を殺すことで悪い評判が起こるのを気にしたのか不明です。
信長に信玄は死んだ噂があると光秀が伝えます。
浅井の重臣が寝がえり信長は朝倉,浅井を討ちに行きます。山崎は死に一乗谷を攻めます。義景に景鏡は降伏を進言し裏切ります。浅井も滅び、240年の室町幕府も終わります。
信長は久秀が降伏してきたと言います。光秀は久秀を味方にすれば力になると言うと信長は多聞山城を開け渡せと信長が言います。史実で、久秀が多聞城に固執して、いずれ自害するのを見透かすような信長です。
信長は蘭奢待を見られるかというと、東大寺と帝の許可がいると光秀が言います。光秀は信長が、なにを考えているのかと今井にいうと、信長は世の頂きに到達したというと、光秀は、信長は、まだ山の中腹だというと、今井は信長は自分の値打ちを目に見える形で知りたいようだと言います。信長の暴走を心よく思わない光秀に足元をすくわれる信長の運命の予兆を感じます。
三条は信長を官位に昇格させると言うと、帝は信長に褒美をやってもいいが蘭奢待が欲しいと言って来たと言います。三条はしかるべき手順が必要なのに不遜だと三条が言いますが、天正2年3月28日、東大寺正倉院の扉が開き、蘭奢待が110年ぶりに運びだされます。
信長は、それを見て義満など将軍が切り取った後に、信長が切り取ることを望み満足そうです。佐久間は信長が将軍と肩を並べたと言い、信長は蘭奢待を帝に差し上げると言います。
三条は恐れ多いと驚くと、帝は毛利輝元が関白に蘭奢待を欲しいと言ったので、毛利に贈れといいます。三条は驚きますが、帝は信長が変り者だと言います。
帝は信長に違和感を持ち始めて毛利を競わそうとの意図があるようです。過ぎたるは及ばずとの格言通り、信長は身の丈以上を望んで帝の反感を買ったようです。
史実でも信長は畿内統一の後、毛利を標的にするようです。義昭もいずれ、毛利を頼るようですので、火種の連鎖が消えません。
三淵は居城が取り壊しになり、光秀は信長の心を疑いますが、三淵は、どう思うかは家臣の器だと言います。
今回は将軍・義昭が頼りにしていた信玄が上洛前に引き返した理由がやはり見どころでしょうね。結局、将軍・義昭が召し取られ、配下にいた三淵も投降しますが、命は取られていないので信長が二人にそれぞれ今後どういう態度を取るのかにも注目です。
浅井・朝倉は滅亡をさせ、いよいよ信長の天下なりましたが光秀が思うところが色々あるようなので、今後への伏線も考えつつ見て欲しいと思います。また信玄が引き返した際に、菊丸が登場しており、菊丸が東庵のところへも行くので菊丸の真意や今後の動きにも目が離せないでしょうね。また今井宗久の登場もあり、信長が朝廷に願い出た蘭奢待の件で、光秀と思うところをそれぞれ話していたのも聞きごたえがあると思います。
あと帝は静かな言葉でありつつも、信長のやり方に思うところがありそうなので信長と帝との関係がどうなるかにも注目でしょうね。また駒は将軍・義昭のところに行っていて前にもらったものを返す際にお互いの想いを話していたのでそのやりとりも見どころです。投降してから信長の命に従っていた幕臣・三淵の居城が取り壊され、光秀が信長のやり方に疑問を抱いていたので次回に三淵の処遇も含めて何か動きがあるのかも気になるところです。
快進撃を続けていた信玄が急病で引き上げてしまい、義昭は取り残されてしまい、秀吉に捕らえられてしまいましたね。義昭にとってはこれ以上のない屈辱です。
最後まで戦うと思っていましたが違いましたね。もともと武士として育てられていないからでしょうか?それにしても、秀吉が次第に本性を現してきました。以前はただの田舎者のお人好しに見えましたが、今は別人のようです。
母親のなかもしたたかですし、親子そろって怖いです。これを目の当たりにしたらさすがの光秀も警戒しますよね。三渕は藤孝の裏切りに怒りを覚えていましたね。これもお互いの思うところがあってのことですね。仲の良い兄弟だっただけに切ないですね。
しかも幕府方の残党の城攻めを兄弟で命じられて辛いですね。信長は新しい「天正」という元号を付けて上機嫌ですね。信玄の急な進軍の停止に疑問を持ち、光秀に尋ねました。光秀は菊丸からの信玄は死んだのかもしれないという情報を信長に伝えました。
そしていよいよ朝倉家の滅亡の時がやっていましたね。最後は周りから裏切られてしまいました。しかし、血なまぐさい戦いの末に次第に世の中は平和に向かっていきました。死んだ誰かの上に成り立っている平和というのもなかなか辛いですね。
38話の感想・ネタバレを見る ➡
1574年、天正2年7月、光秀は信長の書状で一両日中に坂本城にいた三淵の切腹を命じられます。光秀に、三淵は自分を斬れとの使者が来たかというと、光秀は三淵が義昭と文をかわしていた証拠があると言います。三淵も自分の運命を予感していたようです。
何故、信長を敵視するのかと光秀が問うと、三淵は弟のように幕府を見限る勇気がないと言います。光秀は三淵に初めて堺で会って見ごとな立ち振る舞いを見て感心し、信長に命乞いをするので、三淵に信長への謝罪を提案しますが、融通の利かない三淵は捨てられた花にも、一度は咲いて見せた誇りがあると言い、頭を下げるつもりはないと言い、切腹します。世話になった三淵を失い、光秀の顔には無念さが見えます。これが武士の矜持として義昭を裏切れないと三淵が思ったのかも知れません。
光秀は天正2年、佐久間、細川藤孝と三好の残頭や一向一揆の連合と戦うと、三好義継は逃げますが、長島の一向一揆は信長が抑えます。
すると、斎藤利三が、稲葉一鉄の元から逃げて来て、家臣にして欲しいと言います。姉川の戦い、一向一揆の戦果を光秀が褒めると、利三は稲葉から馬を貸せといわれ、百貫を渡そうとしても怒られ、草履を顔に投げられたと言います。
稲葉が道三、龍興、信長と、ころころと主君を変え一貫性がないのに対して、信長の命令に逆らってでも、比叡山を攻めた時に、女、子供を生かした光秀の為に仕えたいと言います。光秀の信念を曲げない姿勢に感服したようです。
信長に宣教師が訪れ、信長は光秀にバテレンの土産を見せ、金平糖を食べて、ポルトガルの味がすると言う顔が満足そうです。史実でも宣教師のルイスフェロスとは懇意のようです。
最初の見どころは、利三の扱いについて信長は、利三を稲葉に返せ、美濃を治めているのは稲葉だと言う場面です。
光秀は利三を稲葉に返せばきられると言います。救えば、信長が尊敬されると言います。信長は義昭を丁重にあつかったというと、藤吉郎が義昭を裸足で歩かせたと言うい、将軍を粗末に扱ったと訴え、光秀は信長に従えないと言い、三淵も力になれたのかも知れないと言います。あまりの激昂ぶりに驚きです。相当、光秀もストレスが溜まっているようです。
斎藤利三は春日局の父で、稲葉は頑固一徹という言葉の由来になったと言われ、利三と稲葉の、いずれが悪かったのかは判りません。利三が稲葉の娘を愛人にしたという話もあり、那治直治までもが稲葉から離れ光秀の家臣になろうとし、信長が光秀に那治を稲葉に返せと怒り、光秀を殴ったようで光秀が拒否し、信長を恨んだという説もありますが、作り話という説もあります。それが本能寺の変の3,4日前というのも憶測を呼ぶ原因のようです。
利三には頼辰と言う兄がいて長曾我部と繋がりがあって光秀と利三は長曾我部と信長の調整役になるようで、石山本願寺を屈伏させた信長が、長曾我部征伐を決めたので、信長に叛旗を翻す為の本能寺の変の一因との説もあるようです。
利三は光秀の筆頭格の家臣で1万石の丹波黒井城主になり、本能寺の変に最初は反対しますが、結局、加勢し、後に秀吉に処刑されたのも皮肉な結果です。
怒った信長は光秀に帰れと怒りますが、すぐに呼び戻せと言い、光秀が戻るとバテレンの着物を渡し、大きな話で、河内から三好を追い払ったので、石山本願寺と丹波が残ったので、義昭を慕う者が多い丹波を藤孝とで抑えろと言います。利三の件は稲葉に話すと言います。
信長は自分に反抗的な態度をとる光秀を不満に思うようですが、光秀を丹波攻めに利用する価値があるので、我慢したようです。増々、光秀は信長の重宝な「パシリ」、鉄砲玉の役に使われているようです。
バテレンの服を着た光秀に皆が笑いながら似合うと言います。
京の誠仁親王が信長参議に蹴鞠をしないかと誘います。二条は信長に帝が譲位して上皇になると言います。信長は上皇になるのに1万貫はかかるので、考えると言います。三条実澄は信長には敵が多く、すぐに譲位しなくてもと帝に言いますが、信長は帝の意思なら、すぐに譲位しろと言います。
一番のみどころは、二条は焦って譲位をしろと言うと帝が言う場面です。
三条実澄は二条が、義昭から信長に乗り換えた様だと言い、信長は二条と近づいていると言います。帝は信長が義昭と同じ運命になる、光秀はどうしたと言い、光秀と話しがしたいと言います。
信長をよく思わない帝らが、光秀をけしかけた本能寺の変の黒幕という説の根拠になりそうです。
一方、伊呂波に光秀が会うと、前久の妹が黒井城にいるので、会いたいと言い、伊呂波に取り次ぎを依頼します。
伊呂波は前久が京都に戻れるように信長に頼んでくれないかと頼みますが、光秀は前久に会ったからというと、伊呂波は、丹波の園部まできて欲しいと言います。
光秀が菊丸と駒に会います。駒が義昭に会うと義昭が京都に戻って信長を倒すと伝えます。
園部は反信長勢力の中心で、光秀は菊丸に誰が話しを聞いてくれるかと問うと、小畠ならいいと言います。
前久に会うと、光秀は前久が石山本願寺に助けを求めたのかと言い、前久がどちらに味方するのかというと、前久は信長が好きだと言い、何でも手伝うと言います。
光秀は、小畠永明に会いたいと言い、丹波の主が金か領地が欲しいのか知り、争いを解決したいと言います。
前久は小畠は戦に勝ってからだと言うと言い、結果的に光秀の工作も実らず、1575年、天正3年、光秀らは丹波に攻め込みます。
史実では光秀は小畠の協力を得ながらも、丹波の赤鬼と呼ばれた赤井直正らに苦しみ、信長の命で、越前一向一揆の征伐、久秀の反乱の制圧に忙殺され、千手観音の様に走り回って、病に倒れるなど、不幸、逆風にさらされるようで、本当に気の毒です。
信長から光秀に三淵の件で書状が来ますが、自害させよとの命令で困惑を隠せない様子。話をするため三淵の元を訪れると、言うまでに察知していたようですが、光秀が信長を説得すると申し出たのを断るのも見どころです。三淵の生き方や人生観が描かれていて短いシーンながらも印象に残ると思います。
三淵が自害後、美濃の斎藤利三が光秀の元へ来ます。暴君となった稲葉と揉めたようで何があったのかいきさつにも注目です。また信長から利三の件でも引き渡しを命じられますが、そのまま引き渡せば稲葉が利三を討つのは目に見えているので断ります。
そして三淵の件や将軍への態度について思うところがあるので忠告すると、丹波攻めを言い渡されます。ただ丹波の様子を自分で確かめたいと太夫に相談するのが見どころです。信長は帝の屋敷にも出入りし朝廷側の人間はそれぞれ思うところがある様子。
帝は光秀のことも気に掛けているのでどんな思惑があるのかも注目です。太夫も近衛の家が気になるのか光秀の案内をすることにしますが、菊丸とも合流することになります。菊丸の書いた文字で信玄が病死した時の一報を書いたのが菊丸だと知り菊丸の力量をはかっているような態度なのも見どころです。丹波へ到着し現地の想いを知る光秀。結局、戦うしかないようです。終幕。
光秀はなんとか三渕を助けたい気持ちでいっぱいだったのですね。初めて堺で出会って以来、武士としても人としても尊敬していたのでしょう。
しかし、三渕は今更も、主君でもない信長にしっぽを振ることをよしとしなかったのですね。潔く光秀に迷惑をかけることもなく誇り高く散って行きました。玉も懐いていただけに残念です。その後も光秀は戦に明け暮れる日々になりました。
そして、家臣となる斎藤利光と出会いました。利光はまっすぐで義理堅い武将ですね。いい人物と出会って良かったですね。しかし、稲葉が利光を返せと言ってきましたね。草履を顔に投げつけてきたのにひどいですね。信長も稲葉の機嫌を損ねると面倒なので利光と稲葉に返そうとしていますね。光秀と対立してしまいましたね。
珍しく信長が妥協して丹波を藤孝と収めることで矛を収めました。ご機嫌だったのでしょうか?そして南蛮人の衣装を貰い玉達に笑われていましたね。しかしさすが煕子です。にこにこして褒めて光秀は嬉しそうでした。素直にそう思っているところが素敵です。
本当にいい夫婦です。帝が信長と関白が近づくのをあまりよく思っておらず、またしても朝廷と信長との間で板挟みになりそうな感じがしますね。何で光秀はこんなに苦労するのでしょう?気の毒になって来ます。
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1575年、天正3年、顕如に本願寺を開け渡せと信長が要求し5年間、戦います。信長は権代納言、右大将にまで昇格し三条が美濃で信長に会い、任官の挨拶を帝にするように言うと、信長は武田との戦いに忙しいと言います。三条は朝廷のしきたりに従えと言うと、信長は信忠に家督を譲ったので京に戻ると言います。
三条には信長の帝に対する態度が不遜に見えるようです。
すると、信長は自分が帝に奉じた筈の蘭奢待が毛利に渡り、その毛利は本願寺と繋がっていると言いますが、三条は否定します。
信長は帝は自分を裏切って毛利にテコ入れしていると疑っているようで、本願寺との和議を経て、天正9年、1581年には、信長は京都での馬揃えで、帝の前で自分の権威を天下に誇示し、益々増長するようで、不遜な態度だと朝廷の反発を招いたようです。
一方、石山本願寺とは天王寺砦で戦っていた原田直政が討ち死にしました。本願寺側には鉄砲が1000丁あり、膠着状態で、久秀は斎藤利三と攻めると言いますが、一番の見どころは、信長が来て何を手間取っているか、原田の家臣に一向宗の信者がいると言い、切り捨てた場面は、驚きです。
光秀は敵が手ごわいと言いますが、信長は、本気で攻めていない、玉を込めず鉄砲を撃つ者がいると言います。光秀は相手には紀州雑賀の鉄砲衆がいて危ないと言いますが、無謀にも信長は自分が行くと砦を出ますが、敵の狙い撃ちに会い、足を撃たれ光秀と伝吾に救われます。
久秀は信長が無理を言い、困ったと言うと、光秀が倒れました。傷が化膿したようで高熱が出て、大阪の医者は仏罰だと言って診てくれず、熙子に頼まれた東庵が診ると神仏に頼るしかないと匙を投げます。一時はダメかと思われましたが、それでも数日後に回復した光秀に、信長は毛利水軍が兵糧を補給しているので、九鬼水軍で叩くと言います。
史実では、九鬼水軍は信長の発案で、奇想天外の、鉄板で武装した軍艦で毛利水軍を破るようですので、無謀に思えた本願寺攻めに成功した信長は優れた武将のようです。
信長は大和の守護の原田が戦死し筒井に任せたいと言いますが、光秀は久秀の立ち場がないと言います。藤吉郎は自分に任せてはというと、家柄のない藤吉郎では治まらないと信長が言います。
信長に逆らった久秀は人生の選択を誤って、1577年、天正5年、信貴山城に立てこもり信忠に負けて息子の久通と共に自害するのに対して、筒井は信長の娘をめとり大和国主になったのは対照的です。
信長は、たまに会うと、たまの嫁ぎ先を探すといい、建築中の安土城を見せると言い、信長は大和を筒井に任せると言い、去り、光秀は頑固な信長にため息を漏らします。たまは後に信長の勧めで細川藤孝の息子の忠興と結婚するようです。
他方、築山と家康が徳姫が娘を産んだと聞ききます。菊丸が大和の久秀の動きが不穏だと言い、信長は三河が頭にないと家康に言います。
しかし徳姫が信長に、家康の長男の信康が武田の家臣の娘を側室にし横暴だとか、家康の妻の築山が武田と密通していると書状を書いて信長は怒って、1579年、天正7年、9月家康は築山を殺害し信康に自刃を命じるなど、家康も信長の乱心に巻き込まれて大変な目に合うのは気の毒です。
一方、熙子は胸の病になり、光秀が麒麟を呼ぶ者だったらと言い、平和を願うと言いながら、1576年、天正4年11月、秋に熙子が亡くなります。光秀は側室を侍らせず、まじめに熙子に尽くした愛妻家だったので、精神的ショックは大きかったようで、うつ状態になったのも、本能寺の変の一因との俗説にも、うなずけるような気がします。
しかも、天正6年、1578年には光秀は丹波の波多野秀治の八上城攻めに苦労し母親の牧を人質に出す代わりに降伏すれば身を保証すると交渉に成功したのに、信長が光秀を裏切って秀治を処刑したので、秀治の家臣が牧を殺してしまうという不幸な俗説まで出てくるようです。
いずれにしても、心身ともに疲れ果てた光秀が哀れです。
先週の放送では序盤は戦闘で難航しているさなかに信長が織田軍の陣地にやってきたかと思うと、いきなり一部の家臣に暴行して声を荒げるので、悪い信長の本性がいよいよヒートアップしてきたなという思いで見ていました。
そんな織田軍の陣地の中に松永久秀がいたのですが、次はそれに驚かされました。というのは松永は織田に冷遇されていたので、もうすでに敵になっていたかと思ってたからです。
声を荒げていら立って無防備に戦闘行為に出た信長に対して明智が必死に抑え込もうとして、その最中に敵に撃たれて瀕死の重傷になってしまったときには、なんで信長をかばうのか、ここでさっさを信長が撃たれて死ねば、明智も謀反者の運命で殺されずにいたのにとさえ思いました。
明智は京に搬送されて医者の望月の治療で生き返るのですが、その回復を願っていた奥さんが病で死んでしまったのは少々心が痛みました。明智の様態が回復して信長との面会をした際に、信長が改めて大和の支配を筒井に任せる旨の発言をしたので、またかと思ったのですが、その時には明智が妥協案として大和を2分割するとか、松永に別の地域の領地で今は我慢するべき時だとかなんで発言しなかったのかも気になるところでした。
今回は本願寺攻めが描かれました。当初は寺が相手でそれほど時間も手間もかからず戦が終わると踏んでいた織田軍でしたが、敵には僧だけではなく銃撃を得意とする者も交じっており、対象を任された明智光秀(長谷川博己)も苦戦し、自身もケガを負います。
そこへ業を煮やした織田信長(染谷将太)が現れ、芳しくない戦況に激怒しその場に居た兵に乱暴を働き、その上自分が甲冑も付けないまま前線へと飛び出していきました。この兵を乱暴するというよりも虐待する様子を見て、松永久秀(吉田鋼太郎)は苦々しい表情を浮かべます。今までも信長の比叡山攻めや朝廷に対する不遜な態度に不満や不信を持っていた久秀はかなり信長にうっぷんが溜まっているようで、その気持ちがこちらまで伝わるようなお芝居でした。
一方の信長もこの数回で以前にも増して不遜で傍若無人な態度を見せることが多くなり、沸騰点が下がっているというかすぐに血が上って周りに当たり散らすような態度が増えました。このドラマ自体最後は本能寺で終わると思うので、信長にそんな態度を取っていると益々恨みを買って殺されちゃうよ~と思って見ています。
これも壮大なクライマックスへ向けての伏線なのでしょうね。また今回光秀の妻・熙子(木村文乃)が亡くなりました。病気の光秀の為自身の体調も顧みず雨の中お百度を踏み、光秀の回復と入れ替わるように床に伏したのですが、美しく賢く優しい素晴らしい奥さんでした。光秀は生涯側室を持たなかったと言われていますが、きっとお互い大切に思い合っていたのでしょう。
これから信長やその周囲との関係が悪化して行く光秀の支えになるはずなのに、彼女が亡くなったことも光秀を暴走させるきっかけになったのかもしれません。追い込まれていく光秀の様子が心配になります。そして今回あまり登場しませんでしたが、正親町天皇役の坂東玉三郎さんがとても美しく、非力で財力もないのに不思議な磁力というか圧力で人を圧倒する魅力を持つ天皇を演じていて、その様子も見て欲しいです。戦国物らしい合戦シーンは少ないものの、登場人物の心情が細かく描かれていてあと数回で終わるのが惜しい、とても面白いドラマです。
40話の感想・ネタバレを見る ➡
天正5(1577)年、「(明智光秀は)時折飲んでは絡むのじゃ」(松永久秀)。羽柴秀吉(佐々木蔵之介)は加賀攻めにおいて、総大将の柴田勝家の指揮に従わず、無断で陣を引き払い、近江長浜に戻ってしまいました。
松永も許される可能性があったが、信長が大和国守護に天敵の筒井順慶を選んだ事と信長に天下の茶道具・平蜘蛛を譲れと要求された事で、意地になっています。「信長殿が家柄によらず、引き立てるというのは嘘。筒井の家柄を選んだのだ」と松永。
光秀と会って、酒を酌み交わしましたが、説得に応じず、松永は信貴山城で挙兵し、信長の大軍に敗れました。自害し、茶道具を焼き払ったのです。この時に平蜘蛛は事前に光秀に渡っていたのではないか。戦後佐久間信盛の家臣が隈なく探したが、平蜘蛛は見つからなかったのです。しかし、何も知らないと光秀。「これは罠だ」(光秀)。
「十兵衛は初めてわしに嘘をついたぞ」(信長)。信長の猜疑心はこのところ強まっています。松永の離反、正親町天皇からの不興、一揆の規模の大きさ、妻・帰蝶との別居。光秀の三女・たまは信長の肝入りにより細川忠興に嫁ぐ事になったが、家臣達への信頼は強まっていません。各地方の有力大名からの脅威に対して一致団結しているとは言い難い状況。その中で不信感を持たせてしまった光秀は、帝に拝謁し、信長への抑制力を得ようと考え始めました。
光秀が初めて見せる表情は、目を過度に大きく開き、口は般若面に似せ、頬を引き攣らせたもの。光秀と信長はやはり気性が合わなかったようです。一度疑われては、信長は非情。何が起こるか。次回から、安心して観ていられませんね。
7年の戦いの最中、本願寺攻めから久秀がいなくなり、光秀は妻の爪の切れ端を大事に持っていました。
光秀は三条に会うと、帝が信長の行く末を案じているので、話がしたいと伝えます。朝廷が信長を警戒し光秀の囲い込み作戦を感じます。
光秀は久秀に会うと三条とも久秀は会っていました。柴田と藤吉郎が喧嘩して信長が藤吉郎の切腹を命じたのを押しとどめたと光秀が言い久秀に自重を促しますが、久秀は、信長が血筋より実力を重んじると思ったが、血筋のよい筒井を国主にするのが許せないと言い、久秀は本願寺に味方すると言います。
久秀は命の次に大事にしている茶器の平蜘蛛を信長には渡さないが、光秀になら渡してもいい、光秀とは戦いたくないと暗に自分に加担するように言って涙を流します。光秀は寝返りをやめるように頼みますが、自分が討たれても平蜘蛛は光秀に渡ると言い、茶器を伊呂波に託すと久秀が言います。
久秀は信貴山城で挙兵し信忠が征伐に向い、信忠は命と交換に平蜘蛛をよこせと佐久間に命じたと光秀に言います。
天正7年10月10日、信貴山城攻めが始り、久秀は火を放ち、自分の首を箱に入れて茶器を焼き払えと言って南無三宝と言い、切腹します。
信長は平蜘蛛を入手できず泣きます。
光秀は帰蝶に会い、信長は時々、泣いていると言います。松永の茶器が無残な姿になっていて、信長がなにかを怖がっていると言います。信長が足利将軍と同じ地位になり、富士山に登った者同様にたたりを受けるのを恐れているのかも知れないと言います。帰蝶は戦の度に親しい者がいなくなり、山を下りて鷺山に行くと言い、光秀に戦が終わったら一緒に茶を飲もうと言います。帰蝶なりに信長の不吉な未来を予感している気がします。
信長は佐久間が役立たずだと言います。信長は帰蝶が鷺山に行ったら困ると言い、光秀の考えを問います。信長は帰蝶が光秀を思っているのではないかと嫉妬しているように思えます。光秀は自分も信長も困ると言ったのは陰を含んだ答えです。
信長は平蜘蛛を探せず、久秀が誰に預けたのか知らないかと問いますが、光秀は知らないと言いますが、信長は久秀が伊呂波と会ったと言います。久秀と親しい者の中に光秀がいたと言うが何の話をしたかと言います。光秀は上杉に加担するなと言ったと言い、平蜘蛛の話はなかったと答えると、信長は久秀には領地をやるつもりだったと言います。光秀は久秀のせいで、信長の罠にはまったようです。
帝が蘭奢侍を上げたのに喜ばれなかったのは理解できないと言います。信長は自分の不遜な態度が帝に警戒されているのが理解できないようです。
信長は、たまを細川忠興に嫁がせよと言い、丹波を攻めよと言います。信長は光秀が初めて自分に嘘をついたと言い、事実関係を藤吉郎に確認します。信長は光秀への不信感を抱き、叛旗の兆しを悟ったのかも知れません。
坂本城で光秀は、伊呂波から平蜘蛛を受け取り信長に平蜘蛛の行方を問われ、言えなかったと言い、言えば信長の手に渡り楽になれたが言えなかったのは久秀の罠だと言います。光秀は気脈を通じた久秀が信長に裏切られたという悔しさに同情したので、信長に嘘を言ったと解釈します。
まんまと久秀の罠だ、久秀の笑い声が聞こえると言ったのは、光秀なりに久秀の遺志を受け継いだ満足感があるようです。
久秀は、これを持つものは誇りを失わない、志を持つ者だと、光秀に申し伝えてくれと言われたと伊呂波が言います。光秀は丹波の戦が終わったら帝に会い、信長をどう思うか知りたいと言います。徐々に信長への反感が増幅されているように感じます。
光秀は天正3年、1575年から丹波攻めを行い亀山城や福知山城を作り治水工事や免税などの善政を行います。赤鬼といわれた黒井城の赤井直正を攻めますが、光秀を裏切った細川の補佐役の波多野秀治の裏切りで一度は撤退し本願寺攻めに参加しますが、態勢を立て直して八上城の波多野秀治を討伐し4年かけて丹波を制圧し信長から褒美で丹波を与えられ、信長は光秀を益々重用するようですが、光秀は信長に対して面従腹背の姿勢が加速する予感がします。
煕子が亡くなってしまって光秀も寂しくなりましたね。しかし。明るい玉のお陰で少しは気がまぎれるみたいで良かったです。本当に煕子とは信頼し合って理想的な夫婦でしたから。
箱に煕子の爪を入れてその揺れている音を聞いている時の光秀の嬉しいような悲しいような顔を見て胸が痛みました。本当に愛していたのだなと感じました。一方、松永久秀が微妙な立場に立たされています。久秀は大和の守護は自分に回ってくると思ったのに信長が筒井に任せたので信長への不信感でいっぱいになっています。
確かに実力がある自分が当然守護になれるはずだと思ったのでしょう。実力がある者を取り立ててくれると信じていましたからね。久秀と光秀は昔から仲が良いので本当に辛いです。光秀はショックのあまり号泣していましたね。これ以上大切な人を見送るのは本当に悲しいですね。
でも久秀にも武将としての意地がありますから、引くに引けないでしょう。信長は久秀の大切にしている茶道具まで奪おうとするなんてひどいです。本当は久秀は光秀に渡したかったのでしょう。
しかし、潔く茶道具と共に散っていきました。せめてもの信長への仕返しですね。かなり信長は堪えたようです。帰蝶も信長の変わりように疲れてしまって信長の元を去ってしまいました。そこから光秀も信長も転落が始まったと感じました。
41話の感想・ネタバレを見る ➡
門脇麦さんのことは、このドラマが始まったばかりの頃は、こんなに若くて、時代劇の経験もない女優さんを起用しなくても良かったのではないかと思っていましたが、今回の芦田愛菜さんと2人で話しているシーンを見ていると、とても落ち着いていて、役柄と同じように人間としても成長したように見えました。
芦田愛菜さんに対して、年長者らしく諭す様子を見ていると、本当にこの2人は当時、こんな会話をしていたのではないかと感じられるほど、とても自然な雰囲気でした。
「これだけの名物を持つ者は持つ覚悟がいる」と言われて尚名物を離さぬ光秀。その理由は芸術心か。或いは⁉︎。
しかし、平蜘蛛は信長に渡っていた、のです。すると、本能寺の変で失われたのでしょうか。覚悟は信長に必要と光秀。自ら持参しました。しかし、今井宗久に一万貫で売ればいいと信長。
芸術的な部分でなかったのかも。初期の戦国中央政権の急進さはいつまで続くかわからない戦乱の世の希望であるか、見送るか、どちらにかけるか。もっとゆっくりだと次の時代はいつから始まったか。歯止めをかけるのも勇気かもしれません。
天正5年、1577年、10月、久秀が自害し備後の鞆にいた義昭は大名に向けて信長討伐の御内書を送ります。
光秀は亀山城の守護代の内藤を破りますが、内藤の家臣に城は再築せず、橋や田畑を修復せよと言い、国衆の力を貸して欲しいと言い、足利から領地を貰った恩に報いる為に戦うと言う国衆に光秀は義昭と戦っているので、国衆と戦うのではないと説得するのが絶妙です。丹波で善政を行うのが光秀の心の広いと言うか賢いところです。
光秀は播磨出陣の藤吉郎に自分に足をすくったと言い、密偵を向けて平蜘蛛を持っていることを信長に報告したことを問いただします。辰吾郎を使って内偵したと問い詰めると、藤吉郎は信長と光秀の板挟みにあった苦しみを打ち明けますが、光秀は藤吉郎に貸しを作ったと言います。
藤吉郎は菊丸が自分の母に薬を飲ませていると言い菊丸の存在を藤吉郎は疑います。一方、辰吾郎は藤吉郎の手下に殺されたのは、口封じのようです。
光秀は菊丸に信長が二条に肩入れし誠仁親王を帝にしようとしているとの噂があると言います。
光秀は藤吉郎が菊丸を疑っているので、逃げた方がいいと言い、菊丸は光秀と別れを告げ刺客に追われます。
たまは駒に光秀に嫁に行けないと答えたと言います。駒は自分の人生を考えた方が良いと言います。たまがいずれガラシャと名のり、キリスト教に入信しますが、心優しい女性のようです。
信長は前久に毛利の背後を脅かす為に、九州の大名に使いを行かせますが、前久は信長が二条に肩入れすると不満を言います。
すると、信長は光秀に二条に関白をやめさせて前久を据えて帝の退位をさせると言います。
最初の見どころは、信長が京都での自分の評判が上々と聞いていると言うと、光秀は、なぜ、久秀と義昭が信長に逆らったのかと言う場面です。
光秀は信長に平蜘蛛を見せ、行方を知らないと答えて後悔したので、信長に収めると言います。何が言いたいと信長が問うと、平蜘蛛は、志高い、心美しい者が持つと言い、逆らう者がいなくなり天下が平らかになる、城を美しくするだけではいけないと言います。光秀にしてみれば、言いにくいことも言った上で、不遜な信長に改心を促したようです。
しかし信長は今井に頼んで平蜘蛛を金に換えると言い光秀は驚きます。俗物主義の信長には光秀の思いは届かないようです。
三条に会った光秀は信長の胸中がわからないと言われます。帝が信長を右大将にしたのに譲位を迫り大将を放棄したので、困ったと不満を言います。
一番の見どころは、内裏で光秀が帝に会う場面です。帝が、月には奇妙な名の男が住んでいるが、名前を知っているかというと、光秀は桂男が月にある不可思議な花を取りに行き、水に溶かして不老不死の薬をつくろうとして神の怒りを買い、月に閉じ込まれたと言います。光秀は桂男が信長だと言わんとしているように聞こえます。
帝は月は眺めるのが良い、近づいてはいけないのに、力あるものは月に上りたがると言います。あまたの武士が月に上るのを見たが下界に帰って来なかったと言います。信長はどうかと問い、道を間違えないように見届けよと言います。帝は光秀に期待し後継者になって欲しいように聞こえます。
天正9年、信長は帝の前で馬揃えを都で行い、権力をこれでもかと誇示するようですので、馬耳東風のようです。
1578年、天正6年、たまは細川忠興に嫁ぎます。
結局、松永の持っていた茶器を信長に差し出していたけれど、価値観が違うのか売ると言い出し切なくなりました。どんどん光秀が信長から心が離れて行っている気がします。
光秀はまっすぐ過ぎると思いました。秀吉みたいに自分の出世のために人を裏切れるようなタイプではないので悩みが多いのでしょうね。菊丸のことも秀吉にバレているみたいだったのですが、なんとか追手から逃げられたようで良かったです。
駒ちゃんと暮らしていたいと思ったこともあるみたいですが、やはり家康への忠義はあるのでしょうね。ラストに帝に会いに行っていましたが、もっと早く会いに行っていれば何かが変わっていたかも。次女がタマが細川のところに嫁いで行ったので次週は細川との関係がどうなったかも見どころです。
光秀は菊丸が家康の忍びだという事を知っていたのですね。知っていたのに黙って見守っていた光秀は本当に懐が深い人なのですね。菊丸をなんとか生きて三河に返そうと忠告までしましたね。
駒への気持ちもあるので三河に帰るのも後ろ髪を引かれる気持ちがあるのですね。しかし、あの腹黒い秀吉が菊丸の正体を知ってしまったようですから。秀吉は怖いですね。
菊丸はなんとか秀吉の追ってから逃げきったようで良かったです。今後の秀吉と光秀の関係をにおわせるような回でした。
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天正6年、秋1578年、毛利攻めの有岡城主の荒木村重が信長に叛旗を翻します。藤吉郎が説得するものの、諦めて愚か者と言って去ります。荒木は光秀に、信長が摂津を任せると言いながら税をかけて見知らぬふりをし義昭を追い出したが、毛利は義昭を京に戻すので、従うと言います。
荒木は元は義昭に仕えていたのが信長に加担し、結局、信長を裏切った腰の落ち着かない武将です。
光秀は鞆の浦の義昭に会うと、義昭は鯛を釣っていました。光秀は丹波攻めで苦労し、荒木が謀反をおこし義昭を奉っているが、毛利に上洛には興味がないと思えるというと、義昭も毛利が京に上る意思がなく、信長討伐の文を出すのが迷惑のようだと言います。
光秀が京都に帰ろうと言い、信長を説得するから義昭が戻れば戦乱が収まると言います。しかし義昭は兄、義輝は飾り物にされ、最後は殺されたので、信長がいる京都には戻らない、ここで鯛を釣っていれば殺されないと言い、光秀一人の京都なら帰ると言います。
摂津の織田軍に戻ると光秀に、荒木を説得せよと信長が言っていると藤吉郎が言います。藤吉郎は荒木の頭だから一緒に説得にいくというと、光秀は、藤吉郎が行けば収まりがつかない、藤吉郎が荒木に軍議でつばを吐いたのを非難します。
光秀は娘の岸が荒木に嫁いでいたので、苦しい立場ですが、それでも光秀が説得を試みましたが失敗します。
信長は有岡城を攻めると言います。荒木の女、子供全て殺せと言います。光秀は荒木とは話し合いすべきだと話すべきだと言いますが、信長は藤吉郎が毛利と本願寺を朝廷に仲介させて和議をさせると言います。いつのまにか、光秀にとって代わって藤吉郎が信長との関係を築いているようです。
信盛は本願寺は手ごわいと言いますが、信長は怒ります。
天正6年秋、有岡城攻めは膠着しますが、やがて荒木は一人で城を見捨てて逃げるようです。
すると、菊丸が家康が光秀に会いたいと言います。
最初の見どころは、摂津沖で光秀が家康に会う場面です。三河から船で来た家康は、7歳で光秀に初めて会い、30年経過したが、何かに束縛されて逃げたいと言い、例えば信長だと言います。三条から和歌を教わり、光秀を頼れと言われたと言います。
信長から築山と信康が武田と通じているので殺せと言われたと言います。信長が鷹狩りに尾張に来たとき今なら討てると言う家臣がいたと言います。あまりに理不尽な要求におのれを貫くしかないと言います。しかし、史実では、家康は信長の命に逆らえず、築山も信康を殺すのが、苦しい選択のようです。
信長は、形のない神が消えないと宣教師に言われ、キリシタンになろうかと光秀に言いますが、光秀には滑稽に思えるようです。信長は九鬼水軍が毛利水軍を破ったと言いますが、確かに鉄で武装した軍艦で村上水軍を破ったようです。光秀は徳川の噂話で、信康と築山が武田と通じているので、信康に処罰を命ずるのはどうかと言うと、信長は家康を試していると言います。鷹狩に行った時に、家康の家臣が自分をにらんでいるので、三河が尾張を憎んでいると言い、相当な不信感があるようです。光秀は、荒木の二の舞になり、これでは人が付いて来ないというと、信長が、ならば成敗すればいいと言います。
一番の見どころは、信長は唯一頼りにしている光秀だから、こまらせるなと言いながら、光秀が妙な振る舞いをしていると言う場面です。
帝に呼ばれたのは何故かと問うと、光秀は月見のおともを三条に誘われたと言います。しかし自分の頭越しに、帝は信長について何と言ったかと問うと、帝は他言無用と言われたと言うと、信長は怒って、申せと扇子で光秀を叩きますが、言いません。何故、こうなると信長が言い、信長は帝を譲位させようと言い、光秀に丹波平定を1年以内に遂げなければ考えがあると信長が言います。信長は光秀も切り捨てようと思っているようです。
駒は義昭が光秀と鯛を釣ったと言い、光秀が麒麟を呼んでこれると言う夢を見ると文をくれたと言います。本能寺の変へのムードが高まっているようです。
佐々木蔵之介さんは大好きな俳優さんですが、すっかり勢いづいた染谷将太さんと同じく、その佇まいや声の大きさにまで、自信が満ち溢れていて、鞆の浦で一人、静かに鯛釣りをしていた滝藤賢一さんとは、明暗がはっきりと感じられました。
強すぎて、ちょっと嫌味なくらいだと思いましたが、いよいよクライマックスが近づいているということで、それぞれの今の力がとてもよく表れていて、時代が大きく動き出すという気配を、はっきりと感じ取ることができました。
でも、風間俊介さんはもともと童顔なので、「30年経ちました」というセリフがあっても、そうは見えませんでした。門脇麦さんは、だんだん娘から女性へと成長していったように見えましたが、風間俊介さんは同じようにはいかなかったなと、ちょっと残念でした。
今度は味方だと思っていた荒木村重が反乱を起こしましたね。義昭が他の大名に手紙を送っていたのが原因です。
もういい加減に将軍の座を諦めてひっそりと隠居してくれたらいいのに思ってしまいます。大人しく過ごしていてくれたらこんな戦いは起こることはなかったのにと思います。
そもそも己の実力のなさがこのような争いを引き起こしているのことに腹が立ちます。もはやお飾りとなった将軍でも影響力あるのが面倒ですね。光秀も以前から親交があったわけですし、光秀の立場も織田の家臣の中で苦しいものになってきましたね。
秀吉もいよいよ本性を現して偉そうになってきましたね。腹黒さがにじみ出ていますね。温和な光秀と佐久間への風当たりが強くて今後の二人の運命を思うと見ていてつらくなりました。
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丹波・八上城の波多野兄弟の首が塩漬けに。天下に面目を施したと織田信長(染谷将太)。信長に都合の悪い正親町天皇は東宮に譲位させようと。信長の重臣の佐久間信盛は石山本願寺攻めの不成績により追放を。拡大する戦況に、民も疲弊。
信長に意見を言う事に憚りを持とうとしなかった明智光秀(長谷川博己)は、次第に精神的に追い詰められていくのです。光秀の謀叛は「日本史最大の謎」というのですが、「麒麟がくる」では、その理由の説明が少ないですね。織田信長は室町時代の作法を変えようとして、光秀は不同意であるとか。
それだけでは、イライラっと表情を一変させた理由がわかりにくい。何か、信長独占の機密…、戦国合戦ゲーム「信長の野望」的な文学的機密感覚がヒーロー信長にあって、それを知らされてなかったか。COVID問題の中の流動的な撮影状況の中、クライマックスが慌しく。ググッと歯をくいしばった長谷川博己さんの顔は謎のまま印象に残って。次回、本能寺の変、光秀の一挙手一投足が非常に気になりますね。
天正7年、1579年、黒井城、矢上城が落城し光秀は丹波を制圧し藤孝と光秀の労を信長がねぎらいました。信長は裏切った波多野を張り付けにしたと言います。波多野については天正6年、1578年に光秀は波多野秀治の八上城攻めに苦労し母親の牧を人質に出す代わりに降伏すれば身を保証すると交渉に成功したのに、信長が光秀を裏切って秀治を処刑したので、秀治の家臣が牧を殺してしまう不幸な説まであり、光秀の信長への不信感につながったという説もあるようです。
信長は佐久間に顕如がいつ本願寺を明け渡すかと言い、藤吉郎に京都で女を漁っている暇はない、毛利を攻めろと言います。
藤吉郎は藤孝に帝の譲位に反対し、前久も譲位に不承知だと藤孝が言います。しかし正親町天皇は、そもそも天正元年、1573年12月に信長が譲位を勧めたのも天皇が上皇になるべく、希望していたという通説もあるようです。
信長は光秀に従五位の官位を勧め、帝から貰えばいいと言い、帝の御所を移すと言います。誠仁親王に光秀が譲位の話をしますが、光秀は藤孝に譲位をやめさせるというと、藤孝が止めます。
前久に藤孝は信長の行いに疑問を持つと言いますが、前久は光秀に頼るしかないと言い、藤孝は光秀が義昭に会ったので、藤吉郎は不満があると言います。藤吉郎は将軍を敬うことが百姓の出だからわからぬと言い、伊呂波は藤吉郎が武士が嫌いだと言います。藤孝は藤吉郎とは考えがあわない筈ですが、本能寺の変では光秀を裏切り光秀敗北の主因と言われていますので、藤吉郎とすでに通じていたのが、不思議です。
天正8年、4月に顕如が本願寺を明け渡すと佐久間を信長が追放しました。
光秀は駒に、毎日、月に届くような大木を切る夢を見ると言います。信長が木を登っているようで、月に上ったものは帰って来ないが、木を切れば信長の命がないと判って木を切り続けていると言います。光秀の苦悩がわかる巧い表現です。
一方、医者を頼って京都に来た眼病の帰蝶に光秀が会います。今井が美濃の国衆が帰蝶が道三に似ていると言います。光秀は道三ならどうするかと問い、帰蝶は道三に代わって答えると言います。
最初のみどころは、今井が退席すると、帰蝶は信長が佐久間を追い払い、他の重臣もわずかな咎で追われ、自分なら信長に毒を盛ると言う場面です。これは、びっくりですが史実では確認されていないことですが、可能性はあります。
光秀の道が開けるなら道三がそういうと答えると、光秀は道三は信長と歩めと言ったので、信長を討てば自分を討つことになると言います。しかし帰蝶は自分に信長に嫁に行けといい、信長を作ったのは道三と光秀だから始末しろと言います。帰蝶は道三の考えが嫌いだというと、光秀も大嫌いだと笑います。帰蝶は信長を裏切り、光秀も本音を遂に帰蝶の前で吐露したようです。もう本能寺の変に向けて外堀が埋まったと言う感じです。
天正10年3月、信長と家康が勝頼を亡ぼします。家康は光秀に、築山と信康が武田と通じていたと釈明します。家康は丹波と近江がうまく統治されていると言い、どうやって国を落ち着かせるのか、おだやかになる手を教えて欲しいと言います。光秀は自分の国の田畑を検地して無理のない年貢をとれと言います。確かに光秀は近江、丹波では民に善政を施したようで、嘘ではないようです。
家康が光秀に供応してほしいと森が信長に言うと、丹羽長秀が家康を警戒し、信長は家康が信康の件で根に持っておるのかと言います。光秀まで家康に加担していると疑うようです。
家康は信長に安土に呼ばれたが、光秀に供応をお願いしたい、信長は怖い相手だと言います。
一番の見どころは、光秀は信長に供応の準備をしたというと、信長は、あとは丹羽長秀にまかせろと言いますが、光秀は供応したいと言い、家康と光秀が来ると、信長が膳が違うと言い、品数が足りないと怒る場面です。
光秀は作法だと言い、家康も光秀をかばいますが、信長は面目が立たないと言うと、信長が光秀を叩いて蹴ります。お互いに憎しみが高まったようです。衆目の前で恥をかかされた光秀の苦悩がわかります。
それ以外に美濃の斎藤利三のほか、那治直治までもが稲葉から離れ光秀の家臣になろうとし、信長が光秀に那治を稲葉に返せと怒り、光秀を殴ったようで光秀が拒否したという説もありますが、作り話という説もあります。それが本能寺の変の3,4日前というのも憶測を呼ぶ原因のようです。
天正10年6月2日、本能寺の変が起こります。
光秀はようやく丹波を平定できましたね。信長はご機嫌です。しかし、信長の元に送った元城主たちが磔にされてしまいましたね。光秀は助けるつもりだったのに信長は残酷です。光秀のショックだったでしょう。
信長が以前にもましておかしくなってしまいましたね。信長は今の帝を排して東宮を帝にしようとしていますし、やりすぎです。これでは周りの反感を買ってしまいます。藤孝も信長の行動をよくは思わず警戒をしています。
藤孝の方が光秀よりも先を見通すことが出来ていて冷静に周りを見て判断出来るようですね。光秀は藤孝に比べて清廉潔白で融通が利かないので信長の行動が目にあまるのでしょのでしょう。こが二人の運命の分かれ道だったのでしょう。帰蝶は道三だったら信長に毒を盛ると答えました。帰蝶の覚悟を感じました。
麒麟がくる(ドラマ)のキャスト・脚本・監督
麒麟がくる(ドラマ)に出演されていたキャスト・脚本・監督をご紹介していきます。
※青色のリンクがある俳優はクリックして関連作品やその他詳細が確認できます。
- 長谷川博己/明智光秀 役
- 本木雅弘/斎藤道三 役
- ユースケ・サンタマリア/朝倉義景 役
- 染谷将太/織田信長 役
- 向井理/足利義輝 役
- 川口春奈/帰蝶 役
- 池端俊策/脚本
- 前川洋一/脚本
- 岩本真耶/脚本
- 河本瑞貴/脚本
- 大原拓/演出
- 一色隆司/演出
- 佐々木善春/演出
- 深川貴志/演出
- その他キャスト/伊藤英明、南果歩、西村まさ彦、石川さゆり、徳重聡、村田雄浩、木村文乃、岡村隆史、尾野真千子、高橋克典、木村了、檀れい、上杉祥三、佐々木蔵之介、堺正章、門脇麦、吉田鋼太郎、谷原章介、ほか
麒麟がくる(ドラマ)の原作ってあるの?
麒麟がくる(大河ドラマ)に原作はなく、脚本家の池端俊策さん、前川洋一さん、岩本真耶さん、河本瑞貴さんのオリジナル作品となります。
明智光秀を主人公として、どのような人柄で、そしてどのような立ち回り役として描かれるのか本当に楽しみですね♪
麒麟がくる(ドラマ)の音楽担当はジョン・グラム
麒麟がくる(ドラマ)の音楽を担当したのは作曲家のジョン・グラムさんです!
光秀や信長、秀吉のイメージが自然と湧き上がって、それと同時に、同じ時代に生きた女性や子どもなど名もなき人たちの人生や悲しみや願いも感じたと語ったジョン・グラムさんの想いがどのようにドラマと絡んでくるか非常に楽しみです。
麒麟がくる(ドラマ)見逃し無料動画配信情報とみんなの口コミ・感想まとめ
麒麟がくる(ドラマ)の1話~最終話の動画はU-NEXTで見逃し配信視聴できます。
動画配信サービス | 配信情報 | 月額(税込)・無料期間 |
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