想像が上回る展開を見せてくれる「僕だけがいない街」は、切ないけれども何度も見てしまう作品ですね。
そして藤原竜也、有村架純は去ることながら子役の中川翼、鈴木梨央等俳優たちの強い演技力によってこの映画の魅力は爆増しています。
そんな「僕だけがいない街」ですが、原作とは異なる点がたくさん存在しています。
その結末によってタイトルの見方も変わってきます。今回は原作と比べつつ、タイトルに込められていた意味について考察していきます。
映画「僕だけがいない街」考察!悟は死なない?
映画では悟は真犯人である矢八代先生ともみ合いになり、最後には刺されてしまい息を引き取ってしまいます。
それに対して原作では八代先生と対立しても最終的に勝つことが出来ます。
つまり、原作は「ハッピーエンド」なのに対し映画では「バッドエンド」であり、正反対の結末が繰り広げられていたのです。
このことからタイトルに含まれている意味について考えてみましょう。
映画で考える「僕だけがいない街」は仮に僕がいなくても、僕が造り上げた今を生きて、笑って元気に過ごしてほしいといった意味が含まれていると考えられます。
初めは母が殺されリバイバルし、幼い頃に殺された加代が生きている時代に戻り、加代を救います。
そのことによって母も救います。ようやく皆が助かったかと思いきや、本人である悟が亡くなってしまうことにショックを受けてしまった視聴者は多いと思います。
しかしこのことから”僕がいなくてもみんなは大丈夫”といった意味をタイトルから感じ取れるのです。
それに対し原作では悟は長年植物状態になり、復活したときの心情としてこの映画のタイトル「僕だけがいない街」がシンクロしているのだと考えられます。
悟が復活できたのは周りの支えによってなので、”皆が僕がいない街でここまでしてくれたことに感謝する”といった意味が込められているのです。
まとめ「僕だけがいない街」考察!そのタイトルには正反対の意味が込められていた
いかがでしたでしょうか。
原作と映画の内容の相違によってタイトルの意味までも異なる解釈が生まれるのです。
原作しかご覧になったことのない方は映画、逆に映画からご覧になった方は原作から、読んでみるのもまた違う感想が生まれるかもしれませんよ。