映画のタイトルから大きなインパクトを与えてくる社会に衝撃を与えた傑作「万引き家族」とはその名の通り、万引きをして生計を立てている家族のお話です。
「悪事はいけない」ということを教えてくれる映画なのですが、それよりも重要に問いかけられているのが「家族の在り方」です。
万引き家族の意味深なラストシーンから是枝裕和監督が伝えたかったことは何なのか、メッセージを読み解いてみましょう。
「万引き家族」考察 リンの瞳を通して感じたこと
リンの瞳を通して感じたこと、それは「血縁関係のある家だけが家族ではない」ということです。
母親から虐待を受けていたリンは、万引き家族の一員である治と祥太に見つけてもらうことによって小さな幸せを見出していきます。初めは警戒心を持ち表情が硬かったものの、万引き家族の支えがあり徐々に表情が明るくなっていきます。
そこで重要なことが万引き家族の誰一人、血縁関係がある人はいないということです。様々な家庭事情を抱え込んでいる人たちが集まった赤の他人同士なのです。なのに何故リンは徐々に心を開いていったのでしょうか。
それは紛れもなく「家族の温かさに触れた」ことが大きな要因です。
血が繋がっているものの自分を虐待する母親か、血は繋がっていないけれど愛を与えてくれる母親か、どちらが子供にとって大切な存在かを考えると後者だと考えます。
作中に万引き家族の母親信代が警察と会話するシーンがありましたが、そこで信代は「拾ったんです。捨てた人は他にいるんじゃないですか?」といったセリフを言います。
この映画の本質的な問題は何なのかを、私たち視聴者に示してくれるとても深いセリフです。
万引き家族についてのみんなの感想
まとめ 「万引き家族」考察 愛があるならばそれは完全に「家族」である
小さいころの家庭環境というものはその子性格を創り出す重要な要素であり、残念ながら完全に塗り替えられるものではありません。育児放棄は良くないことと分かってはいるものの、今の時代でもなくなっていないことが事実です。このどうにもできない私たちの無力さを見せつけてきた映画だったのです。
最後に、治が”万引きを子供に教えて後ろめたくなかったのか”と警察に問われていたシーンで発言した「ほかに教えられることが何もなかったんです。」とのセリフもとても印象的です。
万引きしか教えることが出来ない治が、祥太に本当は「お父さん」と呼んでほしいこと、別れのバスで祥太を追いかけていたこと、それは完全に「父親の愛情」そのものでした。
この映画で学んだことを心に刻み、今日も生きていきましょう。